高家寺と太寺廃寺塔跡 on 2012-10-26 |
紹介します。 撮影:2012-10-26
高家寺の基本情報
住所:明石市太寺2丁目10−35
TEL:078-911-3755
宗派:天台宗 山号:太寺山
御本尊:薬師如来坐像 脇士は日光菩薩・月光菩薩
高家寺の地図(国土地理院2万5000分の1の地図)
中央の経緯度 北緯34度39分15.1秒 東経135度0分13.8秒
+印が高家寺の場所です。
御本尊の開帳(8年に1度)は本年11月3日にあるというお知らせを見たが
今回は薬師如来坐像を拝顔することはできませんでした。
上の写真がご開帳の案内。出土の瓦も公開されたようです。
太山寺縁起によると霊亀2年(716)宇合(うまかい)(藤原鎌足公の孫で
藤原不比等(ふひと)の子)が明石摩耶谷温泉で療養中に漁民が一寸八分の
薬師如来を引き揚げた宇合(うまかい)はこの像を太山寺の本尊とし七つの
薬師堂に薬師如来を祀った。この1つが高家寺だとも言われています。
白鳳時代の霊亀年間(715-717)に創建された太寺廃寺の跡地に、元和年間(1615-24)
に明石藩主・小笠原忠政(忠真)によって高家寺が開創された。
律令制度が発達した頃には古山陽道が整備され30里(約16㎞)毎に駅家(うまや)が
配置され明石においても駅家(うまや)があり、太寺(たいでら)付近にあったことが
有力視されています。(神戸市西区吉田南遺跡が明石駅家の候補と見る説もある)
上の写真は高家寺の本堂の建物です。
建物を支える丸柱には「寛文2年(1662)2月壬寅(みずのえとら)」の文字が残る。
先の阪神淡路大震災で大きく破損した本堂は修復解体工事が施工され2002年には
事前発掘調査も行われ開山時の遺構や遺物も見つかったそうです。
2002年の発掘調査の調査のまとめと公開は2004年に実施されました。具体的には
2004年には明石市文化博物館で企画展「太寺廃寺と高家寺」が開催されました。
また市民への現場見学会、講演会も2004年に実施されたようです。
上の2枚の写真は太寺廃寺の塔跡があった場所の遠景です。
南北8m、東西12m 約130㎡の面積だそうです。
文化財保護の観点から一般の参観者が入場できないように柵でガードされていました。
塔の基壇は高さ約1.5mで、円形造りだしの柱座が設けられた礎石が3石、現位置に
埋没して残存しています。うち北側の2石は中心間の距離が約8尺、残り1石の距離は
2石を結ぶ線と直角に約16尺の位置にあり、1辺約7.3m(24尺)の塔であったと
推定されます。塔は三重塔以上の層塔でろうと推察されています。
こちらの高台から礎石の他にや白鳳・奈良・平安・鎌倉・江戸と各代にわたっての
古瓦が出土したそうです。
往時は法起寺方式(東に塔、西に金堂、中央に講堂)の壮大な寺院であったと
推測されます。
上の写真は寺師義正氏の著である兵庫の塔 平成6年発行のPage 49からのコピーで
太寺廃寺塔の礎石と役の行者像と不動尊の石仏も右手に写っています。