神戸臨港線 |
支えてきた神戸臨港線が運行していました。
鷹取にあるJR神戸貨物ターミナル駅がそれまでの業務を統合引き継いでいます。
平成21年(2009)10月には神戸臨港線(東海道本線貨物支線)の跡地を遊歩道
として整備されました。
2012年6月29日撮影の神戸臨港線の跡地の写真を中心に紹介します。
上の写真は灘駅側から観た整備後の臨港線の跡地。
上の写真は説明書きより神戸臨港線の位置を示す地図です。
上の写真は同じく現地の説明板の地図で整備された遊歩道の範囲が図示されています。
Wikipediaの解説から神戸臨港線の説明を引用させていただきます。
「神戸臨港線(こうべりんこうせん)とは、兵庫県神戸市内にあった東海道本線の
貨物支線の通称である。
東海道本線の東灘信号場から分岐して国道2号線を跨いで神戸港駅へ単線で向かっていた。
神戸港の発展とともに臨港線から分岐する専用線が拡大したが、1980年代の鉄道貨物
輸送縮小に伴い、ほとんどの路線が廃止された。
国鉄時代に廃止されずに残った神戸港駅も2003年12月1日をもって廃止、その業務を
神戸貨物ターミナル駅に委譲した。
国道2号線南側付近から旧神戸港までの跡地はすべて整備されマンション等が建設
されたが、灘駅南側付近から国道2号線南側付近までは橋梁を含め跡地の一部をそのまま
活用し遊歩道へと整備され、今でも当時の面影を見ることが出来る。
遊歩道には近隣の住友ゴム工業寄贈の桜の木約100本が植樹された。途中、
神戸市立科学技術高等学校付近の約200m区間には、同校の鉄道研究会が作製した
ミニSLの線路が常設され、同研究会により年数回運転を行うイベントが開催されており、
近隣の保育園の園児や市民が試乗会に参加している。」
上の写真は大正7年(1918)神戸港沿岸利用状況調査図 内務省神戸土木出張所蔵
の地図で同じく臨港線が通っていた経路を確認できる地図です。
鈴木商店の名前や神戸製鋼の埋立地、川崎造船所の工場埋立地、葺合港などの
名前が目につきます。
上の写真は大正~昭和初期に撮られた港湾貨物を積み替えて輸送する貨物鉄道
神戸臨港線の様子を示したものです。 写真:神戸港振興協会
出典:神戸市制120周年記念 神戸あの町、あの時代 Page3より
遊歩道を全部歩いたわけではないので現存の様子を全部お伝えできなかったのが
残念でした。下記のBlogが現存の写真をたくさん紹介されていましたのでリンク
させていただきます。
いそしずBlog
いっこうがこっそりブログ 前編
いっこうがこっそりブログ 後編
朝日新聞デジタル
http://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000161203270001の中に
臨港線を愛する会の紹介がありましたので記載させていただきます。
<臨港線を愛する会>
地元の自治会や企業など12団体で構成。沿線の清掃やイベント開催などをしている。
【電話】078-511-0515(事務局の神戸市建設局中部建設事務所)
最後になりましたが現地の説明板(平成21年10月神戸市)から引用させていただきます。
「近代において、船舶は最も優れた大量輸送機関で、湊で陸揚げされた貨物を内陸へと
運ぶには、鉄道が重要な役割を果たしていました。大規模な港では港湾施設の一部
とも言える存在でこれが各地の港に敷設された臨港鉄道です。1869(慶応4)年に開港
した神戸港は、大型汽船は沖泊まりで艀(はしけ)による荷揚げが行われていました。
1907(明治40年)にようやく東海道本線に貨物駅として灘駅(現在の灘駅より東側
にありました)ができ、ここから分岐した小野浜駅で、貨物の取扱を始めました。
その後、神戸港の整備が進み、1922年(大正11年)には4本の突堤が完成し、
小野浜駅からそれぞれに引き込み線が延長され、その後神戸港駅(現神戸震災復興
記念講演)と改称し市民の交通手段にもなりました。
大正から昭和時代に最盛期を迎えましたが時代は鉄道からトラック輸送へと移行し、
神戸の近代化に寄与した臨港線も2003年(平成15年)にはすべて廃止されました。
市道・臨港線は鉄道の廃止後、鉄道竣工から100年の歴史を感じつつ、誰もが健康
づくりを楽しみながら、歩くことができる桜並木として生まれかわりました。」