東京裁判 |
ほとんど知らない状況なので今回整理してみました。
くしくも昨日(12月23日)は64年前の昭和23年(1948)、極東国際軍事裁判
(東京裁判)で死刑判決を受けた、A級戦犯7名の絞首刑が行なわれた日です。
7人は東條英機、広田弘毅、松井石根、板垣征四郎、木村兵太郎、土肥原賢二、武藤章です。
太平洋戦争で中国は1000万人を超える死者が
出ており日本でも約310万人の尊い命が失われて
います。平和な世界が継続することを望むものです。
A級戦犯:ナチスドイツ(ニュールンベルグ裁判)、
太平洋戦争の日本(東京裁判)を連合国が裁く
ため国際軍事裁判条例を定めた(昭和20年(1945))
の第6条A項に平和に対する罪と規定された。
英文ではあるが、東京裁判でのA級戦犯について
の簡単な記事が紹介されていますので下記の
サイトを参照していただきたい。
参照先URL(http://www.china.org.cn/english/features/135371.htm)
日本の戦争犯罪(Japanese war Crimes)
東京裁判(極東国際軍事裁判)は昭和21年(1946)
5月3日に開廷され昭和23年(1948)11月12日に終了
するまで審尋されている。
東京裁判ではA級裁判で起訴されたのは下記の28名である。
荒木貞夫、板垣征四郎、梅津美治郎、大川周明、
大島浩、岡敬純、賀屋興宣、木戸幸一、木村兵太郎、
小磯国昭、佐藤賢了、重光葵、嶋田繁太郎、白鳥敏夫、
鈴木貞一、東郷茂徳、東条英機、土肥原賢二、
永野修身(病死)、橋本欣五郎、畑俊六、平沼騏一郎、
広田弘毅、星野直樹、松井石根、松岡洋右(病死)、
南次郎、武藤章
大川周明は精神異常が認められ訴追免除となり、
永野修身と松岡洋右は判決前に病死しているため、
結局A級戦犯として東京裁判で判決をうけた者は25名と
なっています。
1)絞首刑(死刑) 7名 昭和23年(1948)12月23日、絞首刑が執行
板垣征四郎:昭和6年(1931)9月18日、
関東軍参謀の石原莞爾(かんじ)と
奉天郊外柳条湖で満鉄の線路を
爆破(満州事変を扇動の罪)
木村兵太郎:ビルマ方面軍司令官、
東条内閣陸軍次官、(英国に対する開戦の罪)
東条英機 :第40代内閣総理大臣、(真珠湾攻撃の罪)
土肥原賢二:奉天特務機関長、第12方面軍司令官(中国侵略の罪)
広田弘毅 :文民 外務大臣及び総理大臣として
軍部の行動を阻止できなかった。
松井石根 :南京虐殺(数十万人)の最高責任者
平和に対する罪では無罪
武藤章 :第14方面軍参謀長(フィリピン)、(一部捕虜虐待の罪)
2)終身刑 16名
荒木貞夫、梅津美治郎(獄中死)、大島浩、
岡敬純、賀屋興宣、木戸幸一、小磯国昭(獄中死)
佐藤賢了、嶋田繁太郎、白鳥敏夫(獄中死)、
鈴木貞一、橋本欣五郎、畑俊六、平沼騏一郎(獄中死)、
星野直樹、南次郎
3)有期禁固刑 2名
東郷茂徳(20年)(獄中死)、重光葵(7年)
昭和53年(1978)、靖国神社は東京裁判の死刑及び
裁判中の病死、獄中死の14名を「昭和時代の殉難者」
として合祀した。 靖国に戦死者以外が合祀される
ことは例外的であった。また、広田弘毅など非軍人を
合祀したことでも例外的な措置であった。
死亡の理由は法務死となっている。
東京裁判については今でも多くの議論が続いています。「文明」の名のもとに、
日本の指導者28人の世界征服の罪を「法と正義」に基づいて裁いたとする主張が
ある一方で、事後法を適用し、核の使用も含めて戦勝国側の行為はすべて不問に付された、
「勝者の裁き」であったとする見方もあります。