2013年 01月 18日
翁舞 in 車 大歳神社 on 2013-1-14 |
2013年1月14日19:00から車大歳神社で実施された翁舞に行ってきました。
写真紹介します。
車大歳神社翁舞保存会の皆様により毎年この時期に実施される翁舞は「天下泰平」
「国土安泰」「五穀豊穣」などを祈願するための行事で、本殿前の舞殿で
行われます。
昭和51年(1976)に国選択無形民俗文化財の指定を受け、さらに平成12年(2000)
に国の重要無形民俗文化財に指定されました。
車大歳神社の基本情報
住所:神戸市須磨区車字松ヶ原551
御祭神:大歳御祖神(おおとしみおやのかみ)
創建:大化2年(646) 武庫郡誌に記載
管理は祇園神社で問い合わせ先は078-361-3450
祇園神社のHPによる車大歳神社の解説
地図についてはこちら
以下時系列で写真紹介します。

上の写真は宮入後、順番にお清めをしているところです。
宿(ヤド)、神主宿を出発した出演者などは火点し(ひともし)を
先頭に神主、出演者の順番に18時50分頃に宮入し水洗い場で清め水を行います。
毎年、1月8日から12日までの5日間、宿(ヤド)では、点した1本のろうそくを
ご神前に見立て、翁(大夫)・三番叟・露払いの各役、そして笛・大鼓・小鼓・地謡など、
そこに向かって集中した稽古を行います。
翁舞の役者(神戸市須磨区のHPより引用)
露払い・・・10歳ほどの少年がつとめる。
翁(大夫)・・・・この行事の主役で戸主がつとめる。
三番叟・・・12歳ほどの少年がつとめる。
父慰・・・・翁をつとめた人が兼ねる。
地謡・・・・3~4人。
笛・・・・・2人。
小鼓・・・・2人。
大鼓・・・・1人。
地謡の人数は2013年の場合4名でした。
また神主に先導して宮入される火灯し役は2名でした。

上の写真は翁舞が奉納される本殿前の舞殿に上がる前に一列に整列した神主さんや
出演者の皆様です。神主さんのうしろの方が持っておられるのが神面三面が入った
容器で、通常は本殿に祀られています。
出演者などは舞殿のなかでお神酒などの禊を受けた後、翁舞が奉納されます。
翁舞についてWikipediaの解説を引用させていただきます。
翁舞(おきなまい)は、日本の伝統芸能の舞。現在の能楽の原典とされる他、
民俗芸能として各地に伝えられている。
古くは田楽や猿楽、あるいは人形浄瑠璃、歌舞伎、また民俗芸能などでも演じられる
儀式的祝言曲であり、芸能本来の目的の一つに人の延命を願うことがあるが、
その表現として翁媼を登場させることがあったものと考えられている。
しかし、面を付け舞や語りを演じる芸能は猿楽が最初であり、翁猿楽とか
式三番と称された。翁猿楽の成立については、『法華五部九巻書』序品第一に、
父叟は仏を、翁は文殊を、三番は弥勒をかたどるなどの仏教的解説があり、
平安時代後期には成立していたとする説もあるが、『法華五部九巻書』を偽書と
する説もある。確実な史料としては、弘安6年(1283年)の「春日若宮の臨時祭礼記」
があげられ、舞楽・田楽・細男とともに、児・翁面・三番猿楽・冠者・父允を
一組とする翁猿楽が演じられたとされており、このころ翁舞の一つの形式が成立した。
この翁の芸能が、どのような系譜に根ざしているか不明な部分も多いが、
『大乗院寺社雑事記』や『興福寺明王院記録』によると、興福寺修二会での鎮守神たる
春日大宮の前で演じる猿楽が呪師走りと称され、また延暦寺の修正会でも、
鎮守日吉大社で翁舞が演じられるなどの例があり、平安時代中期以降に大寺社の
修正会・修二会などに守護神を祀る後戸で演じられた呪師猿楽の芸能として発展した
ものと推測されている。呪師の芸と翁舞の内容が「天下安全五穀豊穣」を祈願する
ことでは共通していることから、修二会に奉仕する呪師の芸に始まりのちに
猿楽者が呪師に代わって演じるようになったものと考えられている。
室町時代の猿楽の座は、この宗教色の濃い翁猿楽を本芸として各地の寺社の祭礼に
参勤し楽頭職を得ていたとされ、今日の能楽は、その余興芸とも言える猿楽能が
人気を得て集大成されたものとされている[1]。
翁は集落の長の象徴、露払い(千歳)は若者の象徴、三番叟は農民の象徴
であるという説もあるようです。

上の写真は露払い(千歳)の舞。「鳴るは滝の水」のかけ声有。



上の3枚の写真は翁舞。

上の写真は翁舞の面のアップ写真です。
(2013-2-13須磨ニュータウン展in須磨パティオの展示より)


上の2枚の写真は三番叟(さんばそう)の舞です。
三番叟は揉ノ段(もみのだん)、三番叟の呪歌、鈴ノ段の舞で構成されています。
途中、露払い(千歳)が三番叟に鈴を渡す部分があり、
「さらば錫を参らせ候(サラバスズヲマイラセソウロ)」という口上もあり
最高の見せ場である。

上の写真は三番叟のお面のアップです。
(2013-2-13須磨ニュータウン展in須磨パティオの展示より)

上の写真は翁舞を奉じた演者(大夫)が父尉の面をかけて父尉の舞を舞います。
父尉(ちちのじょう)は子孫繁栄、家内安全祈り延命を司る延命冠者を伴い
しずしずと舞うとされているが延命冠者は省かれている。

上の写真は父尉のお面のアップです。
(2013-2-13須磨ニュータウン展in須磨パティオの展示より
現在一般な翁舞は「露払い」・「翁」・「三番叟(さんばそう)」の三部で構成されて
いますが、車大歳神社では三番叟のあと「父尉(ちちのじょう)」の部分が付加された
四部構成になっており、「父尉」を省略していない古態をとどめた形態を伝えています。

本殿に「翁舞」「三番叟」「父尉」に使用される三面のご神体を戻された後、
神主、出演者などが一同に記念写真を撮り終了しました。
20:00過ぎに終了です。
以前に紹介した車大歳神社の記事(小生のBlogより)
車 大歳神社 on 2011-6-28
車大歳神社の翁舞は江戸後期に始まったと伝えられ、戦時中の中断を経て1970年に復活。
2004年に皇居内で行われた天皇陛下の古希を祝う行事でも披露されたそうです。
2013-2-13須磨ニュータウン展in須磨パティオの展示より大鼓、小鼓、笛
扇子、鈴ノ段の舞で使用される鈴の写真を掲載します(下の3枚)



車大歳神社の翁舞の歴史
江戸時代末期~昭和19年 車村全体の行事として開催
昭和20年(1945) 車地区空襲で罹災し中止
昭和23年(1948)~昭和35年(1960) 車協議会にて開催
昭和36年(1961)~昭和44年(1969) 中断
昭和45年(1970)~昭和48年(1973) 老人会により復活
昭和49年(1974)4月 車大歳神社翁舞保存会 設立
昭和50年(1975)3月18日 兵庫県重要無形文化財に指定
昭和51年(1976)12月25日 国選択芸能に指定
平成5年(1993)11月22日 兵庫県ともしびの賞を受賞
平成6年(1994)11月9日 文部大臣賞を受賞
平成12年(2000)12月27日 国重要無形文化財に指定
平成16年(2004)3月14日 天皇陛下古希奉祝行事にて公演
写真紹介します。
車大歳神社翁舞保存会の皆様により毎年この時期に実施される翁舞は「天下泰平」
「国土安泰」「五穀豊穣」などを祈願するための行事で、本殿前の舞殿で
行われます。
昭和51年(1976)に国選択無形民俗文化財の指定を受け、さらに平成12年(2000)
に国の重要無形民俗文化財に指定されました。
車大歳神社の基本情報
住所:神戸市須磨区車字松ヶ原551
御祭神:大歳御祖神(おおとしみおやのかみ)
創建:大化2年(646) 武庫郡誌に記載
管理は祇園神社で問い合わせ先は078-361-3450
祇園神社のHPによる車大歳神社の解説
地図についてはこちら
以下時系列で写真紹介します。

上の写真は宮入後、順番にお清めをしているところです。
宿(ヤド)、神主宿を出発した出演者などは火点し(ひともし)を
先頭に神主、出演者の順番に18時50分頃に宮入し水洗い場で清め水を行います。
毎年、1月8日から12日までの5日間、宿(ヤド)では、点した1本のろうそくを
ご神前に見立て、翁(大夫)・三番叟・露払いの各役、そして笛・大鼓・小鼓・地謡など、
そこに向かって集中した稽古を行います。
翁舞の役者(神戸市須磨区のHPより引用)
露払い・・・10歳ほどの少年がつとめる。
翁(大夫)・・・・この行事の主役で戸主がつとめる。
三番叟・・・12歳ほどの少年がつとめる。
父慰・・・・翁をつとめた人が兼ねる。
地謡・・・・3~4人。
笛・・・・・2人。
小鼓・・・・2人。
大鼓・・・・1人。
地謡の人数は2013年の場合4名でした。
また神主に先導して宮入される火灯し役は2名でした。

上の写真は翁舞が奉納される本殿前の舞殿に上がる前に一列に整列した神主さんや
出演者の皆様です。神主さんのうしろの方が持っておられるのが神面三面が入った
容器で、通常は本殿に祀られています。
出演者などは舞殿のなかでお神酒などの禊を受けた後、翁舞が奉納されます。
翁舞についてWikipediaの解説を引用させていただきます。
翁舞(おきなまい)は、日本の伝統芸能の舞。現在の能楽の原典とされる他、
民俗芸能として各地に伝えられている。
古くは田楽や猿楽、あるいは人形浄瑠璃、歌舞伎、また民俗芸能などでも演じられる
儀式的祝言曲であり、芸能本来の目的の一つに人の延命を願うことがあるが、
その表現として翁媼を登場させることがあったものと考えられている。
しかし、面を付け舞や語りを演じる芸能は猿楽が最初であり、翁猿楽とか
式三番と称された。翁猿楽の成立については、『法華五部九巻書』序品第一に、
父叟は仏を、翁は文殊を、三番は弥勒をかたどるなどの仏教的解説があり、
平安時代後期には成立していたとする説もあるが、『法華五部九巻書』を偽書と
する説もある。確実な史料としては、弘安6年(1283年)の「春日若宮の臨時祭礼記」
があげられ、舞楽・田楽・細男とともに、児・翁面・三番猿楽・冠者・父允を
一組とする翁猿楽が演じられたとされており、このころ翁舞の一つの形式が成立した。
この翁の芸能が、どのような系譜に根ざしているか不明な部分も多いが、
『大乗院寺社雑事記』や『興福寺明王院記録』によると、興福寺修二会での鎮守神たる
春日大宮の前で演じる猿楽が呪師走りと称され、また延暦寺の修正会でも、
鎮守日吉大社で翁舞が演じられるなどの例があり、平安時代中期以降に大寺社の
修正会・修二会などに守護神を祀る後戸で演じられた呪師猿楽の芸能として発展した
ものと推測されている。呪師の芸と翁舞の内容が「天下安全五穀豊穣」を祈願する
ことでは共通していることから、修二会に奉仕する呪師の芸に始まりのちに
猿楽者が呪師に代わって演じるようになったものと考えられている。
室町時代の猿楽の座は、この宗教色の濃い翁猿楽を本芸として各地の寺社の祭礼に
参勤し楽頭職を得ていたとされ、今日の能楽は、その余興芸とも言える猿楽能が
人気を得て集大成されたものとされている[1]。
翁は集落の長の象徴、露払い(千歳)は若者の象徴、三番叟は農民の象徴
であるという説もあるようです。

上の写真は露払い(千歳)の舞。「鳴るは滝の水」のかけ声有。



上の3枚の写真は翁舞。

上の写真は翁舞の面のアップ写真です。
(2013-2-13須磨ニュータウン展in須磨パティオの展示より)


上の2枚の写真は三番叟(さんばそう)の舞です。
三番叟は揉ノ段(もみのだん)、三番叟の呪歌、鈴ノ段の舞で構成されています。
途中、露払い(千歳)が三番叟に鈴を渡す部分があり、
「さらば錫を参らせ候(サラバスズヲマイラセソウロ)」という口上もあり
最高の見せ場である。

上の写真は三番叟のお面のアップです。
(2013-2-13須磨ニュータウン展in須磨パティオの展示より)

上の写真は翁舞を奉じた演者(大夫)が父尉の面をかけて父尉の舞を舞います。
父尉(ちちのじょう)は子孫繁栄、家内安全祈り延命を司る延命冠者を伴い
しずしずと舞うとされているが延命冠者は省かれている。

上の写真は父尉のお面のアップです。
(2013-2-13須磨ニュータウン展in須磨パティオの展示より
現在一般な翁舞は「露払い」・「翁」・「三番叟(さんばそう)」の三部で構成されて
いますが、車大歳神社では三番叟のあと「父尉(ちちのじょう)」の部分が付加された
四部構成になっており、「父尉」を省略していない古態をとどめた形態を伝えています。

本殿に「翁舞」「三番叟」「父尉」に使用される三面のご神体を戻された後、
神主、出演者などが一同に記念写真を撮り終了しました。
20:00過ぎに終了です。
以前に紹介した車大歳神社の記事(小生のBlogより)
車 大歳神社 on 2011-6-28
車大歳神社の翁舞は江戸後期に始まったと伝えられ、戦時中の中断を経て1970年に復活。
2004年に皇居内で行われた天皇陛下の古希を祝う行事でも披露されたそうです。
2013-2-13須磨ニュータウン展in須磨パティオの展示より大鼓、小鼓、笛
扇子、鈴ノ段の舞で使用される鈴の写真を掲載します(下の3枚)



車大歳神社の翁舞の歴史
江戸時代末期~昭和19年 車村全体の行事として開催
昭和20年(1945) 車地区空襲で罹災し中止
昭和23年(1948)~昭和35年(1960) 車協議会にて開催
昭和36年(1961)~昭和44年(1969) 中断
昭和45年(1970)~昭和48年(1973) 老人会により復活
昭和49年(1974)4月 車大歳神社翁舞保存会 設立
昭和50年(1975)3月18日 兵庫県重要無形文化財に指定
昭和51年(1976)12月25日 国選択芸能に指定
平成5年(1993)11月22日 兵庫県ともしびの賞を受賞
平成6年(1994)11月9日 文部大臣賞を受賞
平成12年(2000)12月27日 国重要無形文化財に指定
平成16年(2004)3月14日 天皇陛下古希奉祝行事にて公演
by seiyo39
| 2013-01-18 16:27
| 神戸情報
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