奈良薬師寺の食堂跡の発掘調査 By奈良文化財センター |
との報道がありました。
発掘調査を担当したのは奈良文化財研究所です。
NHK番組で紹介された内容及び奈良文化財研究所のプレスリリース資料などから
かっての薬師寺の食堂(じきどう)の姿にせまって見たいと思います。
2012-6-7に訪問した時の写真もこの機会に紹介します。
薬師寺の基本情報
住所:奈良市西ノ京町457 TEL:0742-33-6001
宗派:法相宗大本山
御本尊:薬師如来 開基:天武天皇9年(680)天武天皇勅願
公式HP
天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を願い天武天皇9年(680)に建立。
藤原京に建てられ本薬師寺と呼ばれ現在も橿原市城殿町に東西両塔と金堂の基壇(土壇)が
残っています。持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、
飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。
平城遷都(710)に伴い現在地(平城京右京六坊)に移されました。
薬師寺縁起に養老2年(718)に伽藍を移すとの記載があります。
上の写真はNHKの報道からの写真で大講堂の建物と発掘現場の全体が判ります。
大講堂の北側に文献に記載されていたような食堂(じきどう)の建物跡が見つかり
ました。建物の規模は東西40・7メートル、南北15・4メートルと判明。
食堂は僧侶の食事や修行に使われ、主要な建物の一つだった。
文献や絵図によると、南都寺院では東大寺が飛び抜けて大きく、ついで大安寺
その次に元興寺とともに薬師寺と続く。詳細は下の表(奈良文化財研究所の資料)
上の写真は2012-6-7訪問時に撮った大講堂の写真。
今回の発掘場所は手前(北側)である。
上の写真は2012-6-7訪問時に撮った薬師寺境内の案内図で、食堂跡の位置も示して
います。
上の写真は平城京条里における薬師寺の位置を示します。
(奈良文化財研究所の資料による)
基壇の規模は東西47m、南北22mであり40を超える柱の跡、建物の土台が見つかった。
上の4枚の写真もNHKの報道からの写真で調査担当の石田由紀子研究員は
「食堂の規模は僧侶の数を反映しており、薬師寺が大きな寺院だったことを示している。
食堂の調査例は少なく、造営方法や構造を知る上で貴重な成果」と話している。
調査用のコンテナ(縦34センチ、横54センチ)で2千箱以上の瓦が出土し、瓦の
特徴から食堂が奈良時代前期に造営されていることまた食堂の消滅時期は14世紀
初頭までに廃絶となったことが今回の調査で判明した。
基壇の南面に3箇所に階段が設けられていたこと基盤がどのように造成されたかも
今回の調査で判明した。
さらに奈良文化財研究所の見解では
食堂は寺で一番大きい大講堂(2003年再建)とほぼ同じ大きさで、奈良時代に
300人以上の僧がいたとみられるそうである。
上の写真は入口付近より修理中の東塔(カバーが架けられている)の遠景。
上の写真は鐘楼。
上の写真は東院堂。
上の写真は中門と西塔。
上の写真は孫太郎稲荷神社。
上の写真は休ケ岡八幡宮。
上の写真は薬師寺金堂。
上の写真は金堂の中に安置の薬師三尊のうち薬師如来像(左)と日光菩薩像(右)。
上の写真は薬師寺大講堂。
上の写真は玄奘三蔵院伽藍・大唐西域壁画殿。
2012-6-7は故平山郁夫画伯のシルクロード関連の絵画が展示されてた
ことを思い出しました。
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