三木市散策記 on 2013-2-3 その1 本要寺 |
午前中に三木市の市街地を散策しましたのでシリーズで紹介します。
今回はその第1回で本要寺を紹介します。
本要寺の基本情報
住所:三木市本町2-3-6 TEL:0794-82-0233
宗派:日蓮宗 山号:吉祥山 御本尊:久遠の本師釈迦牟尼佛
開基:建長5年(1253)4月28日
公式HP
国土地理院2万5000分の1の地図による吉祥山 本要寺の位置
中央の経緯度 北緯34度47分51.9秒 東経134度58分58秒
+印が吉祥山 本要寺の位置
現地の説明板から若干加筆して紹介します。
「日蓮宗の吉祥山本要寺は、もともと天台宗の寺でしたが、鎌倉時代
花園天皇の御代の正和4年(1315)に日蓮聖人の法孫、
魔訶一院日印(まかいちいんにちいん)上人が関西布教の途次に立寄られ、
住職と問答を行って勝ったために日蓮宗に改宗し、寺の名を本要寺とした。
今日まで宗徒の信仰の場として続いてきた伝統のある寺です。
古くから湯の山街道、ひめじ道、あかし道が分岐する市街地の中心部に位置し、
門前の県道周辺も戦前までは寺の境内に含まれていました。
戦国時代、羽柴秀吉の三木城攻めの時に火災に見舞われましたが、幸運にも
本堂のみ戦火を免れました。天正8年(1580)1月三木城が落ちると、秀吉は
平井山本陣からこの本要寺の本堂に本陣を移し、当寺を三木町各宗の
16か寺院の主席に命じました。
また、秀吉は、戦火をのがれて各地に四散した町民百姓を呼び戻すために
三木を免租地とする制札を建てました。それが三木を金物の町として
復興させる起爆剤になり、その制札が今も
本要寺境内の市有宝蔵に大切に保存されています。
ところが延宝5年(1677)徳川4代家綱の「延宝の検地令」によって免租の
恩典が取り消されようとしました。
本要寺を会合場所として町民の会合を開いた結果、平田町の大庄屋「岡村源兵衛」
と、平山町年寄「大西与三右衛門」の二人が打ち首覚悟で江戸への直訴を
決行しました。
老中酒井雅楽頭(うたのかみ)の屋敷前で断食の座り込みを行い、免租は
そのまま、二人は死罪を免れ無事三木の地を踏むことができました。
宝永4年(1707)本要寺境内に顕彰碑が建てられ、毎年7月18日には
義民祭法要と宝蔵虫干しが行われています。
又、大西与三右衛門の墓がある本長寺では12月8日に法要と共に「冬の義民祭」
を執り行っており、二人の功績をたたえています。」
上の写真は本要寺の遠景です。
上の写真は以前に使用されていた?鬼瓦です。整理されていて気持ちが良いですネ。
上の写真は門の横の石碑で「三木義民の碑、三木市宝蔵、太閤秀吉旧蹟」
と書かれています。
上の写真は免租功労者の位牌。
上の写真は軒丸瓦と軒瓦。お寺の紋が入っています。
上の写真は境内のお堂(観音堂?)
上の写真は庫裏から本堂を臨み撮ったものです。
2013年の夏の義民祭法要と宝蔵虫干の予定の要綱は下記のとおりです。
開催日時 :2013年7月18日(水) 午前10時~
開催場所: 本要寺(住職 小谷泰進)
主 催 者: 三木義民顕彰会 (会長:三木市長)
行事内容:
・墓 前 法 要 午前10時~10時25分
・本 堂 読 経 午前10時25分~11時
・講 演 午前11時~正午(予定)
「三木川の舟運の軌跡」(近世・明治初期まで) 講師 石田安夫 氏
・宝蔵虫干し 正午~午後3時30分
問い合わせ:三木市市民協働課 0794-89-2311