三木市散策記 on 2013-2-3 その3 立石の道標と下津の道標 |
写真(撮影2013-2-3)紹介します。
過去の三木市訪問記は下記のとおり
第1回 三木市散策記 on 2013-2-3 その1 本要寺
第2回 三木市散策記 on 2013-2-3 その2 光明寺
まず、立石の道標を写真紹介します。
旧玉置家住宅の南側にあります。気をつけていないと見逃してしまいそうな
場所にあります。そういった方のために三木市が作製したリーフレット
「街道をゆく」の中の地図(部分コピー)を掲載しておきます。(下記)
道標には 右 ひめぢ道 左あかし道と書かれています。
また、宝暦11年(1761)三木町西国同行中建設/大破傾キタルヲ以テ昭和七年十一月再建
よも書かれています。
次に下津の道標について写真紹介します。
上の写真は下津の道標です。場所は上記の地図を参照してください。
右は「ほっけ おの/やしろ」左は「ひめじ」と書かれています。
また、「同行十三人」とも書かれているようです。読み難い。
上の写真は現地の説明板です。
「江戸時代から明治時代にかけて美嚢川には、「上津」「中津」「下津」という
三ヶ所の舟着場があり、そのうちの一つがここ下町の河川敷にあった「下津の舟着場」
です。当時の河川幅は約5mで、この「下津の舟着場」には幅1mの板橋が二つ、
往復用に架けてあり、その板橋は「下津橋」と呼ばれていました。
この道標は、ここ下津から加西市の法華山一乗寺(西国三十三所26番札所)への
道しるべとして、西国霊場めぐりをした者がその供養のため明治の中期に建立
されたようです。右は「法華山」左は「姫路」を示しています。
法華山は法道仙人が降り立ったところで有名ですよネ。
上の写真は下津の道標と説明板の遠景。
旧街道に残る道標というサイトに詳細な解説があり参照させていただきました。
http://douhyou.jimdo.com/
(有馬街道=湯の山街道の項を参照)
湯の山街道は山陽道(西国街道)の裏道として、豊臣秀吉も三木城攻めのころ
(天正6~8年(1578-1580))有馬への道を整備し、有馬温泉は益々栄えました。
湯ノ山街道は有馬街道、有間街道、湯山街道、有馬湯山街道の名前でも呼ばれています。