三木市散策記 on 2013-2-3 その5 ひめじ道と土蔵群・町屋 |
写真(撮影2013-2-3)を紹介します。
過去の三木市訪問記は下記のとおり
第1回 三木市散策記 on 2013-2-3 その1 本要寺
第2回 三木市散策記 on 2013-2-3 その2 光明寺
第3回 三木市散策記 on 2013-2-3 その3 立石の道標と下津の道標
第4回 三木市散策記 on 2013-2-3 その4 稱念寺(称念寺)
上の写真は現地の説明板で本日取り上げたひめじ道と土蔵群・町屋です。
といってもこれでは読めないと思いますので説明文を引用させていただきます。
ひめじ道
天正8年(1580年)三木城主となった秀吉は,合戦の時に疎開させていた領民を
呼び戻し,城下町を再興しました。秀吉は播磨の中心地を三木の地とし、三木城を
播磨の拠点としました。
一方,中国地方の毛利攻めの拠点として姫路を定め,3万の大軍を姫路に移動
させました。その時に旧道を改修してつくった道がこの「ひめじ道」で、江戸時代
には参勤交代の大名行列が通った街道として語り継がれています。
この街道筋には今も昔を物語る町家が残されており、ここ下町には道が直角に
曲がった鍵型の辻が見られます。
上の写真は称念寺の説明板に書かれていたものでひめじ道の宿場町または拠点の地名
が書かれています。
上の写真も称念寺の説明板に書かれていたものでひめじ街道、湯の山街道
などが三木をとおり、三木が要所であることが判ります。
金物卸商の黒田商店などの商家が並ぶ一角(上の2枚の写真)
上の写真はひめじ道沿いの町屋です。
上の2枚の写真は旧醤油屋さんが集まるひめじ道沿いの一角です。
再び説明板の説明に戻り文章を引用させていただきます。
○土蔵群と町家
ここ下町のひめじ道沿いには,歴史街道の趣を漂わす旧醤油屋などの切り妻の
瓦屋根、漆喰(しっくい)塗と黒板壁等で構成される土蔵群や、虫籠窓(むしごまど)
格子窓(こうしまど)、絵付きの卯建(うだつ)を持つ町家が残っています。
上の写真は町家の虫籠窓(むしごまど)。