三木市散策記 on 2013-2-3 その9 旧小河家別邸 |
写真(撮影2013-2-3)を紹介します。
過去の三木市訪問記は下記のとおり
第1回 三木市散策記 on 2013-2-3 その1 本要寺
第2回 三木市散策記 on 2013-2-3 その2 光明寺
第3回 三木市散策記 on 2013-2-3 その3 立石の道標と下津の道標
第4回 三木市散策記 on 2013-2-3 その4 稱念寺(称念寺)
第5回 三木市散策記 on 2013-2-3 その5 ひめじ道と土蔵群・町屋
第6回 三木市散策記 on 2013-2-3 その6 中町・丸一の洗濯場
第7回 三木市散策記 on 2013-2-3 その7 丸一・仲嶋稲荷社
第8回 三木市散策記 on 2013-2-3 その8 善福寺
旧小河家別邸の基本情報
住所:三木市本町3丁目6-24 問い合わせ先:0794-82-2000 (三木市観光振興課)
開館日時:毎週日曜日 10時~16時
※「離れ」は第4日曜日に公開
公式HP1(三木市観光振興課)
公式HP2(三木市教育部文化スポーツ振興課) 図面あり
旧小河家別邸は明治末期に小河秀太郎が別荘として建設したもので国の登録有形文化財と
なっています。当時の技術の粋を結集した和風建築です。また庭も同じく国の登録有形
文化財で池泉回遊式庭園は現在もよく整備されており見応えがあります。
小河秀太郎は米穀商を生業とした太吉の次男として弘化4(1847) 年に生まれ、
9才の時に石州(島根県)浜田藩士戸川家の養子になり、廃藩置県後三木市に帰り
明石の豪商米沢長兵衛の教えを受けて実業家の道を歩みました。
明治9(1876)年に酒造業を開始し、その後、三木銀行の創立に関与するなど金融業も
営み、県会議員の任を受ける等、当地の有力な実業家でありました。
上の2枚の写真は大日如来堂側からの裏手から見た旧小河家別邸です。
女中の方々が通常通った道です。裏門や離れの建屋が写っています。
上の写真は正面入口と表門。右手は番人部屋であった建物。
上の写真は入口からすぐの池泉回遊式庭園で立派な宝篋印塔がありました。
上の写真は庭園から母屋を臨む景観です。
上の写真は玄関までのアプローチの石畳です。
上の2枚の写真は母屋側から観た庭園です。
上の写真は上段の間で朝香宮鳩彦王が宿泊された部屋です。
朝香宮鳩彦王(あさかのみや やすひこおう)は1887年(明治20年)10月20日
- 1981年(昭和56年)4月12日)は日本の皇族、軍人。朝香宮家の初代当主。
「ゴルフの宮様」として知られることからこちらに宿泊された時はゴルフが所用
であったのか?もっと調べてみると面白いのですが今回は未調査としておきます。
戦後すぐに総理大臣(54日間で総辞職)となった東久邇宮 稔彦王(ひがしくにのみや
なるひこおう)とは学習院の同期生。
上の写真は旧小河家別邸の当主、小河秀太郎(周行)翁の胸像と写真。
上の写真は共待ちの部屋の入り口。
上の写真は貴人用のトイレ。朝香宮鳩彦王が宿泊された時にのみ使用された。
上の写真は中庭の燈籠と2階建ての離れ家屋。
燈籠はすべて種類が違うこだわりの蒐集品だそうです。
上の写真は台所です。1月30日に京都の新島襄。八重の旧邸の台所も見て
いますので昔のスタイルを踏襲した土間に作られた台所との対比が出来て
面白かった。
上の2枚の写真は玄関(取次ぎの間)衝立の絵画。