卑弥呼の墓?箸墓古墳、2013-2-20に調査 |
私なりに整理してみた。
歴史系15学会の研究者らが初めて立ち入り調査したのは桜井市の箸墓古墳と
天理市の西殿塚(にしとのづか)古墳である。
宮内庁では箸墓古墳は倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓
(第7代孝霊天皇の皇女で日本書紀に記載されている)であるとし立ち入りを
厳しく制限しており、邪馬台国の卑弥呼の墓という説もある箸墓古墳の詳細はまったく
判っていない。
唯一の調査は宮内庁が実施した報告があり1976年書陵部紀要第51号で1968年と
1971年、1974年に調査した結果が報告されている。
詳細は朝日新聞が情報公 開法に基づいて全部引き出して、それを記事にしたもので
詳細は2012年9月9日の朝日新聞を参照してください。
まず、NHKテレビが2013-2-21の朝7時のニュースで伝えた箸墓古墳の調査の様子
に関する報道を紹介します。下の11枚の写真。


上の2枚箸墓(はしはか)古墳を上空から観たものです。
桜井市にあり全長が280mであることを伝えています。

上の写真は今回の調査団のメンバーの一人奈良歴史研究会の山内紀嗣代表。
コメントは中に入って見ないと何事も判明しない。

上の写真は今回の調査団のメンバーの一人考古学研究会の岸本道昭代表委員で
図面や報告の内容をこの目で確認したいとのコメント。


上の2枚の写真は箸墓古墳出土の橿原考古学研究所所蔵の土器で年代は240年から
260年と同定されています。卑弥呼が亡くなった248年の範囲に入っている。

上の写真は国立歴史民俗博物館の広瀬和雄教授のコメント紹介。


上の2枚の写真は箸墓古墳調査の様子。

上の写真は調査後の検討会で石敷きはくびれ部に広がる。
古墳の周りに埴輪は確認されず。
弥生時代末期の土器が確認された。
神戸新聞の記事では大阪市大の岸本直文准教授が前方部も後円部も4段と指摘。
但し墳頂の円丘部を含まないという見解か?
測定は2012年4月9日に実施されたレーザー光による測量調査では下記のとおり。
全長は276m、後円部径約156m、高さ26m、前方部前面幅132m、高さ17m
後円部は5段(墳頂の円丘部を含む)、前方部は4段と考えられる。
前述の朝日新聞の2012-9-9の記事によれば後円部の最上段は全面がこぶし大の
丸石で覆われていたとの記述。
詳細は箸墓古墳の赤色立体地図

上の写真は日本考古学協会の森岡秀人理事のコメント。
ここには現われてこないが神戸新聞の報道から「西殿塚古墳と箸墓古墳を較べると
西殿塚古墳の方が崩れ難い構造で完成度が高く前方後円墳の変遷がよく判る」と
コメントされています。
西殿塚古墳は全長約230m、卑弥呼の墓説がある箸墓古墳より後に築かれた前方後円墳で
卑弥呼の後継者台与とも言われる壱与(いよ)や初期大和政権の大王の墓と指摘する
研究者が多いが宮内庁は6世紀継体天皇の皇后、手白香(たしらか)皇女の墓と
している。
邪馬台国と卑弥呼について2月22日関西テレビの「あんたがアンカー」で紹介されて
いましたので写真紹介します。下の6枚の写真。






ここで以前にも書いた箸墓古墳の築造年代と被葬者について再掲します。
1.箸墓古墳の造営年代
西暦240-260年頃
国立歴史民俗博物館春成秀爾名誉教授が2009年5月30日に発表
出典:箸墓古墳、卑弥呼の生前に築造開始か 歴博が研究発表”.
朝日新聞. (2009年5月31日).
3世紀中ごろ
国立歴史民俗博物館考古研究系教授の広瀬和雄氏
3世紀中葉過ぎ 白石太一郎氏
280年から290年 兵庫県立考古博物館館長の石野博信氏
いづれの年代にせよ箸墓古墳は日本最古の前方後円墳などと紹介されるが、
箸墓よりも築造が早かったともされる出現期の前方後円墳が多数あります。
例:ホケノ山古墳、纒向勝山古墳、纒向矢塚古墳、神門5号墳、神門4号墳、
辻畑古墳、纒向石塚墳丘墓など
2.箸墓古墳の被葬者
卑弥呼
前述の白石太一郎氏
台与の墓
兵庫県立考古博物館館長の石野博信氏
崇神天皇の墓
県立橿原考古学研究所の寺沢薫氏
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓(第7代孝霊天皇の皇女)
宮内庁(日本書紀に記載されている)

















