神戸で最初に発行された英字新聞「The Hiogo & Osaka Herald」 |
グレゴリオ暦で1868年1月4日(日本の旧暦で慶応3年12月10日)に
神戸で最初に創刊された英字新聞である。
日本で初めての新聞はイギリス人のA.W.ハンサード(A.W.Hansard)により
1861年6月22日(文久元年5月15日)に長崎で創刊(週2回発行)された
ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドヴァタイザー
(Nagasaki Shipping List & Advertiser)である。
彼(ハンサード)は1861年11月横浜に移りジャパン・ヘラルドを発行している。
文久3年(1863)からはジャパン・ヘラルドは日刊紙となっている。
日本語による近代的新聞の最初の創刊はジョセフ・ヒコが岸田吟香の協力を受けて
英字新聞を日本語訳した「海外新聞」で1864年7月31日(元治元年6月28日)発行
だれたのが最も古いとされています。
兵庫港(神戸港)の開港の1868年1月1日(慶応3年12月7日)から3日後の
ことである。
1867年11月9日の大政奉還(慶応3年10月14日)からは約2ヶ月後のことである。
1868年1月27日 - 30日(慶応4年1月3日-6日)の鳥羽・伏見の戦いは創刊後
1ヶ月以内に起きた内乱(戊辰戦争)である。
The Hiogo & Osaka Heraldの発行者は横浜の「ジャパン・ヘラルド」の社主であった
A.T.ワトキンスで週1回土曜日に発行され縦12インチ(約30.5cm)横8.5インチ
(21.6cm)で当初は4Pageから5Pageで3段組であった。
新聞社(印刷所)のあった場所は神戸居留地56番である。
上の写真はヒョーゴ・アンド・オーサカ・ヘラルド(The Hiogo & Osaka Herald)の
1868年1月11日 (創刊第2号)の表紙である。
米国を除く領事館の布告などを独占的に掲載される公的機関であることを紙面冒頭に
記載されています。
さらに神戸港(表記は兵庫港)の出航/入港情報も1面に掲載されています。
神戸に住む人達にとってなじみの深いロドニー号(Rodney)2,770トンが1868年
1月11日に横浜に向けて出航することも書かれています。