2013年 03月 27日
7代目嘉納治兵衛氏の胸像 in 御影公会堂 on 2013-3-20 |
2013年3月20日に御影公会堂の玄関ホールの7代目嘉納治兵衛氏の胸像の
写真を撮ってきましたので紹介します。

上の写真が7代目嘉納治兵衛氏(1862-1951)の胸像です。
嘉納治兵衛は白鶴酒造を経営する嘉納家の分家で本家に対して白嘉納と呼ばれる。
本家の本嘉納の治郎右衛門に対して、代々治兵衛を襲名してきた。
御影公会堂は昭和8年(1933)に武庫郡御影町の公会堂として建設されました。
建設費の24万円のうち23万円を7代目嘉納治兵衛氏が寄付しました。
1000人収容の大ホールは昭和29年(1954)に三宮に国際会館の建設までは、
神戸市内で最大の集客施設だったようです。

上の写真は御影公会堂玄関ホールの遠景で中央が7代目嘉納治兵衛氏の胸像です。
7代目嘉納治兵衛氏は当時厳しい経営が続いていた白鶴酒造を見事な経営手腕で
立て直しました。会社を育ててくれた地域への感謝という思いから、教育や文化に対して
多大な貢献をされました。御影公会堂以外に、昭和6年(1931)には国宝や重要文化財
にも指定されている中国陶磁器の世界的コレクションを集めた白鶴美術館を建設、
灘五郷の名門・桜正宗や菊正宗などと共同で進学校として全国でも有数の名門の
灘中学校を設立しています。

上の写真は御影公会堂の外観です。
建物の設計者は神戸市の初代営繕課長を務めた清水栄二氏。
当日、訪問した時間が早かったため地下の名物食堂でのオムライスやハヤシカレーを
食べることは出来ませんでした。次回の訪問時に食事をしたいと思っています。
写真を撮ってきましたので紹介します。

上の写真が7代目嘉納治兵衛氏(1862-1951)の胸像です。
嘉納治兵衛は白鶴酒造を経営する嘉納家の分家で本家に対して白嘉納と呼ばれる。
本家の本嘉納の治郎右衛門に対して、代々治兵衛を襲名してきた。
御影公会堂は昭和8年(1933)に武庫郡御影町の公会堂として建設されました。
建設費の24万円のうち23万円を7代目嘉納治兵衛氏が寄付しました。
1000人収容の大ホールは昭和29年(1954)に三宮に国際会館の建設までは、
神戸市内で最大の集客施設だったようです。

上の写真は御影公会堂玄関ホールの遠景で中央が7代目嘉納治兵衛氏の胸像です。
7代目嘉納治兵衛氏は当時厳しい経営が続いていた白鶴酒造を見事な経営手腕で
立て直しました。会社を育ててくれた地域への感謝という思いから、教育や文化に対して
多大な貢献をされました。御影公会堂以外に、昭和6年(1931)には国宝や重要文化財
にも指定されている中国陶磁器の世界的コレクションを集めた白鶴美術館を建設、
灘五郷の名門・桜正宗や菊正宗などと共同で進学校として全国でも有数の名門の
灘中学校を設立しています。

上の写真は御影公会堂の外観です。
建物の設計者は神戸市の初代営繕課長を務めた清水栄二氏。
当日、訪問した時間が早かったため地下の名物食堂でのオムライスやハヤシカレーを
食べることは出来ませんでした。次回の訪問時に食事をしたいと思っています。
by seiyo39
| 2013-03-27 18:35
| 神戸情報
|
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