湯乃山街道 淡河宿 on 2013-4-14 |
撮ってきましたので紹介します。(撮影:2013-4-14)
上の写真は淡河道の駅付近の地図からの抜粋で淡河本陣跡と淡河の城下町跡という
名称で紹介されていました。
淡河道の駅から湯乃山街道 淡河宿の周辺へ徒歩で向かいました。
上の写真はその途中萱葺きの家が残っていましたのでシャッターを切りました。
上の写真は淡河本陣跡の中心部と思われる場所です。
淡河宿は天正7年(1579)5月26日 淡河弾正忠定範が淡河城を出て滅んだ後、
豊臣秀吉によって整備された。この時に秀吉の命を受け、宿場町建設に活躍したのは
村上喜兵衛であった。この功績により、村上家は代々淡河の大庄屋を勤めるようになった。
本陣跡の周辺にも村上姓の家が何軒かあった。
上の2枚の写真は淡河本陣跡の近くにあった道標で下記のように書かれています。
「南 山田兵庫、 東 有馬大坂、 西 三木姫路」
上の写真は淡河の城下町跡の町並みです。
湯乃山街道は西の播磨方面から三木志染の御坂まできた後分岐して北側を淡河道
南を山田道と呼ばれる道になります。
淡河道は淡河川沿いに戸田、淡河、三本松峠、千本の辻、さらに帝釈山の北側を通り
八多に出て附物の南を通り柳谷、堀越、五社、下唐樻を経て有馬に入る経路になります。