神戸市の人口推移と歴史概要 |
今回、人口推移に加え神戸市になった明治22年(1889)4月1日以降の大まかな歴史
事項を加えまとめました。
明治22年(1889)4月1日に神戸区に葺合村、荒田村を併合して神戸市が
誕生しました当時の人口は約13万5千人だったようです。
初代市長は鳴滝幸恭(なるたきこうきょう)、 初代庁舎は相生町1丁目の
元神戸区役所庁舎(6月21日開設)
神戸市の人口推移と神戸市面積の推移及び歴史概要についてまとめてみました。
面積(K㎡) 人口(人)
明治22年(1889) 21 134,704
明治22年(1889) 新橋~神戸間の鉄道が開通
明治28年(1895) イギリス人ブルームが六甲山開発に着手 明治29年(1896)4月1日 湊村、林田村、池田村が編入
上の写真は明治20年頃の諏訪山より神戸旧居留地、神戸港を臨む。中央の八角形の
建物は県議会議事堂 元資料:横浜開港資料館
出典:神戸市制120周年記念 神戸あのまちこの時代1889-2009 page1
明治31年(1898)神戸新聞創刊(神戸又新日報は明治17年より発刊)
明治32年(1899)居留地租借権解消(3月)
兵庫運河完成(12月)
明治32年(1899) 37 236,159
上の写真は明治35年(1902)頃の神戸中心部の地図
出典:清水吉康著 川上乾一発行 「大阪全図」 明治35.12.10 田村豊盛堂出版社
明治33年(1900) 布引五本松堰堤完成、水道給水開始
刈藻島埋立完成(1月)
明治34年(1901) 湊川の付け替え工事が完了
明治36年(1903) 初のゴルフ場(神戸ゴルフ倶楽部)が完成
神戸港沖でで観艦式(4月)
明治38年(1905) 阪神電鉄の梅田~三宮間が開通
湊川の跡地に新開地が誕生
明治40年(1907) 神戸港第1期修築工事着工
明治41年(1908) 神戸港沖で観艦式(11月)
明治42年(1909) 37 387,915
大正9年(1920)4月1日 須磨町編入 24K㎡ 23,249人
明治43年(1910) 兵庫電気軌道(山陽電鉄) 兵庫~須磨関が開通
大正2年(1913) 聚楽館(しゅうらくかん)が開館
第1突堤が完成(8月)、第4突堤が完成(11月)
大正3年(1914) 第3突堤が完成(9月)
大正6年(1917) 防波堤築造はじまる(第2期修築工事)
大正8年(1919) 神戸港第2期修築工事着工
大正9年(1920) 阪急 梅田~神戸(上筒井)間が開通
大正9年(1920) 64 608,644
昭和4年(1929)4月1日 西郷町、六甲町、西灘町編入 19K㎡ 60,163人
上の写真は大正12年(1923)頃の神戸港
出典:開港100年記念誌 Page23より
下記のような記載があります。
新川運河(明治8年竣工)
苅藻島埋立(明治32年竣工)
兵庫運河竣工(明治32年)
湊川付け替え工事(明治34年竣工)
東防波堤 (大正7年竣工)
新港 No.1~No.4突堤(大正10年竣工)
大正11年(1922) 神戸港第1期修築の全工事が完成(7月)
大正12年(1923) 神戸港が内務省より重要港に指定される(8月)
大正13年(1924) 神戸タワー開業
神戸港開港港則改正により神戸港の港境界拡張(3月)
神戸海洋気象台設置(4月)
大正14年(1925) 摩耶ケーブル開業
昭和2年 (1927) 阪神国道電軌 神戸東口~西野田間が開通
昭和5年 (1931) 神戸港が貿易額全国首位となる
市営バスが営業を開始
昭和5年(1930) 83 787,616
昭和6年(1931)8区制施行(灘、葺合、神戸、湊東、湊、湊西、林田、須磨)
昭和6年(1931) 8区役所がひらく(9月)
昭和7年(1932) 神戸港の突堤の名称変更(西から起算に変更)
六甲ケーブルが営業を開始
昭和8年(1933) 第1回みなとの祭開催(11月)
兵庫突堤完成(11月)
昭和10年(1935) 須磨浦公園が開園
中突堤が完成(3月)
昭和11年(1936) 神戸港出入港船舶数最高(54,145隻、9,860万トン)
昭和13年(1938) 阪神大水害(7月)
昭和14年(1939) 神戸市の人口が100万人を超える
神戸港第2期修築全工事が完成(5月)
昭和15年(1940) 83 967,234
昭和16年(1941)7月1日 垂水町編入 32K㎡ 23,140人
上の写真は昭和15年(1940)頃の神戸港
出典:開港100年記念誌 Page23より
下記のような記載があります。
第1防波堤(大正13年竣工)
兵庫突堤(昭和7年竣工)
第2防波堤(昭和9年竣工)
第3防波堤(昭和10年竣工)
新港No.5~No.6突堤(昭和11年竣工)
中突堤(昭和11年竣工)
和田岬防波堤(昭和12年竣工)
国産波止場(昭和12年竣工)
第4仮防波堤(昭和13年竣工)
東部内国貿易地帯造成(昭和15年竣工)
昭和16年(1941) 神戸移住教養所閉鎖(6月)
第1回 海の記念日挙行(7月)
昭和18年(1943) 神戸税関閉鎖(11月から神戸海運局に統合)
昭和20年(1945) 神戸大空襲
昭和20年(1945) 115 378,592
昭和20年(1945)5月1日 神戸市6区制(灘・葺合・生田・兵庫・長田・須磨)
昭和21年(1946)垂水区が須磨区から分区
昭和22年(1947)3月1日 有馬町、有野町、山田村、伊川谷村、櫨谷町
押部谷村、玉津村、平野村、神出村、岩岡村編入 275K㎡ 58,968人
昭和25年(1950)4月1日 御影町、魚崎村、住吉村編入東灘区発足 12K㎡ 44,871人
昭和25年(1950)10月10日本庄村、本山村編入 16K㎡ 39,066人
昭和21年(1946) 神戸税関再開(6月)
じゃんじゃん市場が誕生
兵庫突堤基部接収解除(11月)
昭和22年(1947) 昭和天皇が神戸を巡幸
兵庫第1、第2突堤接収解除(2月)以降順次解除
昭和23年(1948) 民間貿易再開許可される(8月)
昭和25年(1950) 神戸博覧会開催
港湾法公布施行(5月)
第5管区海上保安本部設置(6月)
昭和25年(1950) 420 804,501
昭和26年(1951) 須磨海浜公園が開園
神戸市が神戸港の港湾管理者となる(4月)
神戸港が特定重要港湾に指定(9月)
昭和26年(1951)7月1日 道場村、八多村、大沢村編入 59K㎡ 9,141人
昭和27年(1952)灘埠頭が完成(5月)
第1回国際港湾会議が神戸で開催(10月)
神戸移住あっせん所再開(10月)
第7突堤着工(12月)
昭和29年(1954)東部埋立工事はじまる(3月)
第8突堤(西)着工(4月)
昭和30年(1955)外国貿易量戦前のレベルを越す
昭和30年(1955)10月15日 長尾村編入 13K㎡ 2,013人
昭和31年(1956)第11回国民体育大会が兵庫県で開催
第7突堤サイロ完成(5月)
昭和31年(1956)政令指定都市となる
昭和32年(1957) 市立須磨水族館が開園
西部海面埋立工事はじまる(4月)
昭和33年(1958)2月1日淡河村編入 38K㎡ 5,003人
上の写真は昭和34年(1959)頃の神戸港
出典:開港100年記念誌 Page45より
昭和34年(1959) 摩耶埠頭に着工(10月)
昭和35年(1960) 530 1,113,977
昭和36年(1961) 鶴甲山ベルトコンベア運転開始(4月)
昭和38年(1963) 税関線の愛称がフラワーロードとなる
神戸ポートタワーが完成(11月)
昭和39年(1964) 須磨ベルトコンベア運転開始(1月)
昭和40年(1965) 兵庫第3突堤完成(10月)
昭和41年(1966) ポートアイランド着工(4月)昭和56年完成
摩耶大橋完成(5月)
昭和42年(1967) 摩耶埠頭埋立完成(3月)
さんちかタウンが開業
開港100年祭挙行
ロッテルダム港と姉妹港となる(5月)
昭和43年(1968) 神戸高速鉄道が開業
昭和45年(1970) 537 1,288,937
昭和48年(1973)北区発足
昭和46年(1971) 第1回神戸まつり開催
市電が全線廃止となる
昭和47年(1972) 六甲アイランド着工 平成4年完成
昭和52年(1977) 神戸市営地下鉄 名谷~新長田間が開通昭和55年(1980) 542 1,367,390
昭和55年(1980)葺合区と生田区の合併で中央区となる
昭和57年(1982)西区発足
昭和56年(1981) ポートライナーが開通
ポートピア’81が開幕
昭和62年(1987) ポートアイランド2期工事着工
昭和63年(1988) グリーンスタジアム神戸(現 ほっともっと神戸)オープン
平成2年(1990) 545 1,477,410
平成3年(1991) オリックスブルーウェーブが神戸に本拠地を移す
平成7年(1995) 阪神淡路大震災発生
平成10年(1998)明石海峡大橋が開通
平成12年(2000) 550 1,493,398
平成13年(2001) 市営地下鉄海岸線が開通
平成18年(2006) 神戸空港「マリンエア」が開港
平成20年(2008) ユネスコのデザイン年に認定される
平成22年(2010) 553 1,544,200
上の写真はNHKニュース神戸発2013-6-28の18:15頃の画面から採ったもので
2013年現在の神戸港の航空映像を中心に埠頭名を記載しました。
今後の人口推定(将来人口)については下記のとおり。
将来人口はhttp://www.city.kobe.lg.jp/information/committee/education/preservation/tokushi_seibiarikata/img/seibiarikata2-7.pdfのデータを引用しました。
平成22年(2010)10月1日 国勢調査
神戸市人口総数:1,544,200人
65歳以上:354,218人 23.1%
2015年
神戸市人口総数:1,525,539人
65歳以上:421,987人 27.7% 75歳以上:204,956人 13.4%
2020年
神戸市人口総数:1,501,952人
65歳以上:448,622人 29.9% 75歳以上:239,478人 15.9%
2025年
神戸市人口総数:1,466,950人
65歳以上:456,439人 31.1% 75歳以上:279,876人 19.1%
2030年
神戸市人口総数:1,423,522人
65歳以上:463,096人 32.5% 75歳以上:291,133人 20.5%
2035年
神戸市人口総数:1,372,749人
65歳以上:472,844人 34.4% 75歳以上:287,961人 21.0%
平成17年(2005)10月1日 国勢調査をベースとした各種数値
神戸市人口総数:1,525,393人
65歳以上:305,301人
外国人:36,598人
出生数:12,496人
死亡数:12,651人
昼間人口:1,547,971人
神戸市世帯数:643,351世帯
核家族世帯数:385,594世帯
単独世帯数:212,585世帯
高齢夫婦世帯数:62,995世帯
高齢単身世帯数:70,110世帯
結婚件数:8,547組
離婚件数:3,113組
上の写真は今回の紹介した事項と同じテーマでビジュアルに表現されたものです。
出典:神戸市制120周年記念 神戸 あのまち、あの時代1889-2009 Page49
1世帯当たりの人員は上記で取り上げなかったが明治22年から戦前までは
3.9人~4.7人であったのが最近の平成20年では2.3人となっており
核家族化、単身世帯、高齢者の単身世帯が増加している世相を反映しています。
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