日本で初めて映画が上陸 |
今回は日本で初めて映画が上陸したという観点から以前の記事に書き加えて編集した。
神戸メリケンパークにあるメリケンシアターの写真を撮ってきましたので紹介します。
撮影:2011-10-31
神戸と映画のかかわりは、明治29年(1896)11月25日~11月29日に、日本初の活動写真
(キネトスコープ)が花隈の神港倶楽部で一般公開されたことに始まります。
この動く画面は大人気で12月1日まで興行が延長されたほどであった。
キネトスコープを神戸に輸入したのは居留地14番の輸出入業者 E.H.リネル商会で
買い取ったのは鉄砲火薬商の高橋信治で彼は明治29年11月27日の夜関西方面に旅行中
の小松宮殿下のために宿舎にしていた常盤で上映した。
この一般公開に先立ち宇治川の旅館で小松宮殿下が、舞子の有栖川別邸で有栖川宮妃殿下
がご覧になりました。
神戸以降、12月3日からは大阪ミナミの南地演舞場、東京浅草の花屋敷五階楼でも公開された。
キネトスコープ(Kinetoscope)について詳しく解説したサイトへリンクしておきます。
History of Edison Motion Pictures
The Kinetoscope was a motion picture projector invented in 1888
The Kinetoscope
earlycinema.comについて
http://www.earlycinema.com/technology/kinetoscope.html
キネトスコープの解説 By Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Kinetoscope
キネトスコープ(Kinetoscope)は、トーマス・エジソンによって発明(1891年)
された映画を観る装置。
撮影機の方はキネトグラフといい、キネトスコープより先に、同じエジソンが発明した。
1893年にシカゴ万国博覧会に出展し、1894年4月14日にはニューヨークの
ブロードウェイ1155番地に世界初の映画館(キネトスコープ・パーラー)が設置された。
キネトスコープは世界的に大ヒットし、その後2年でアメリカのほとんどの街に
キネトスコープ・パーラーが設置されることになった。
スクリーンに映写されるのではなく、箱の中をのぞき込む形になる。
当時は「ピープショー」とも呼ばれた(ピープ peep とは、のぞくという意味)。
一度に多くの人が鑑賞できるスクリーンに投影される形の映画(シネマ)は、
リュミエール兄弟による「シネマトグラフ」の発明(1895年)を待つことになる。
キネトスコープで上映できる作品の長さはせいぜい約1分ぐらいだった。
これは、フィルムの輪を収納する箱の大きさに限りがあったからだ。
エジソンはEdison社(後のGE)を通じて自由にコンテンツを選んで鑑賞できる
Edison パーラ(キネトスコープサロンとも)を全米各地に開店させた。
上の2枚の写真はメリケンシアターの写真である。
昭和31年(1956)に制定された映画の日(12月1日)は、神港倶楽部での公開が12月1日まで
だったことにちなんでいます。
メリケンパークにある映画記念碑(メリケンシアター)は、昭和62年(1987)に映画記念碑を建てる会
によって建てられました。
中央部分を四角く切り抜き、スクリーンにみたてた石碑の前には、客席のように石が並んでいます。
この石には、淀川長治氏が選んだ国内外の映画スター42人の名前が、一人ずつ刻まれています。
詳細については玄太郎の部屋で詳細に記載されています。
エジソンの動画に関する歴史
神戸と映画というテーマで2013-6-8に「映画史研究から見えてくる神戸」という題目で
神戸大学准教授板倉史明氏が新長田の映画資料館において講演されました。
その内容についてリンクしておきます。
神戸と映画 in 神戸映画資料館 on 2013-6-8