神戸はじめ物語 ラムネの製造 |
訛ってラムネとなりました。
独特な瓶の意匠もこのとき同時に持ち込まれたもので、明治初期に神戸旧居留地18番の
シム商会が日本で初めて製造と販売を行なった。明治5年5月4日(1872年6月9日)には
東京の実業家・千葉勝五郎に初めてラムネ製造の許可が下り、のちに5月4日は
「ラムネの日」となった。
1995年(平成7年)には日本ラムネ協会が設立された。
(以上 Wikipediaより引用)
製造そのものは慶応元年(1865)に長崎で製造されたとか慶応3年(1867)に横浜で
英国系のノース&レー商会が製造販売したなどの記録もあるが本格的な販売は上述のように
A.C.シムのシム商会が初めてといわれています。
A.C.シム=アレキサンダー・キャメロン・シム(Alexander Cameron Sim)については
顕彰碑が東遊園地にあり小生も紹介記事(下記のサイト)を書いています。
アレキサンダー・キャメロン・シム(Alexander Cameron Sim)の顕彰碑 in 東遊園地 on 2010-9-29
明治17年(1884)頃、シム商会は住所の神戸外国人居留地18番に因んで「18番」という
ラムネを売り出しました。商品は大量に売れるヒット商品となったそうです。
また「18番」がラムネの代名詞にもなった。
さらに明治19年(1886)コレラが大流行した折にガスを含有した飲料水を飲むと
コレラにかからないという新聞記事で風評も広まり大ヒットの誘引になった。
上の写真は東遊園のA.C.シムの解説(説明板です)
次のように書かれています。
A.C.シムは、スコットランド人。化学者であり、薬剤師。
K.R.A.C(神戸レガッタ・アンド・アスレチック倶楽部)の創設者。
今は、懐かしい"ラム ネ"の発明者としても知られている。
1870年来日から1900年に死去するまで神戸の青少年のスポーツ振興だけでなく
居留地共同社会のために大いに貢献した。義勇消防隊の編成及びその隊長を永年に
渡って勤めた。その他道路の建設・改修など公共事業の指揮・監督の任に当たり、
全力を尽くした。また、1891年の岐阜大地震など各地の災害を聞くと自ら
有志をつのり、外国人社会からの救援物資を現地に運んだ。
彼は、1899年、居留地返還に際しては、その返還証書の署名者でもあった。
1900年死去。再度公園外人墓地に永眠している。この記念碑は、彼の死後、
神戸はじめ横浜・長崎の友人たちが、シムの奉仕的精神に富んだ社会奉仕を記念して、
現在の東遊園地の南一隅(旧K.R.A.Cクラブハウス前)に建立したものである。
1981年3月
神戸市
A.C.simuは万能スポーツマンとしても有名で、彼が設立に尽力した
神戸レガッタ・アンド・アスレティック・クラブ (KR&AC)は当初の
スポーツ振興に貢献した。
参考記事(小生のBlogより)
神戸クラブと神戸レガッタ・アンド・アスレティック・クラブ