2013年 07月 15日
三木市 別所町下石野の王子神社 on 2013-7-13 |
東播磨における顕宗天皇、仁賢天皇を祀る神社と題して2013-6-6付けでBlogを書きました。
そこでリストアップしたのは下記の神社です。
1.顕宗仁賢神社 神戸市西区押部谷町木津
2.宗賢神社(王子神社) 明石市西新町
3.清水神社 明石市魚住町清水字柿谷
4.宗賢神社 明石市魚住町清水字明神下
5.宗賢神社 明石市魚住町長坂寺字宮東
6.宗賢神社 明石市大久保町西脇字宮山
7.宗賢神社 明石市大久保町松蔭字宮山
8.若宮神社 神戸市西区枦谷村松本字西谷
9.宗賢神社 神戸市西区玉津町森友字見山
10.若宮神社 神戸市西区玉津町二ツ屋字天ケ岡
11.宗賢神社 神戸市西区玉津町下津橋字辰間ケ岡
12.宗賢神社 神戸市西区平野町中津字大歳
13.堅田神社 神戸市西区平野町繁田字堅田山
14.王子神社 三木市別所町下石野字王子山(今回訪問)
15.大歳神社 加東郡東条町吉井字阿口の下
(住吉神社の境内にある末社)
16.顕王神社 小野市高田町宮後910
(祭神は顕宗天皇のみ)
17.大歳神社 小野市小田町字操屋谷1276番地
18.大歳神社 小野市小田町字大手裏521番地
19.大歳神社 小野市脇本字ムセノ前129ノ13
20大歳神社 加東郡東条町東垂水字前山401番地
今回上記リストの王子神社を訪問(2013-7-13)しましたので写真紹介します。
三木市は奈良時代志染(しじみ)に屯倉(みやけ)=大和朝廷の直轄地が置かれ、
億計(おけ)=のちの仁賢天皇と弘計(をけ)=のちの顕宗天皇の兄弟が皇位をめぐる
争いから難を逃れるために志染に身をひそめていた伝説があり顕宗、仁賢両天皇に所縁が
深い場所でもあります。
億計、弘計の2王子は王子神社で祈願した後に皇位についたことから2人の天皇を祀ったと
伝承されています。
王子神社の基本情報
住所:三木市別所町下石野字王子山
創建:白雉年間(奈良時代初期)
ご祭神:顕宗天皇 23代 在位:485–487と仁賢天皇 24代 在位:488-498
光孝天皇 58代(830~87 在位884~887年)
応神天皇
前置きが長くなりましたが王子神社の写真を紹介します。

上の写真が王子神社の遠景です。

上の写真は本殿に顕宗、仁賢天皇を祀った王子神社の拝殿を正面から撮ったものです。

上の写真王子神社本殿の建物を側面から撮ったものです。

上の写真は絵馬殿に奉納された絵馬です。現地に説明板がありそのまま引用させて
いただきます。
「江戸時代 安政元年(1854) 応需春湖 縦100cm 横143cm
古来から格式の高い家中では正月の儀式として酒宴の際に庖丁式(道)の流儀を客人に
見せていた。流儀には四条流、大草流などがありそれぞれ作法があり、料理の作り方
に関してもきまりがある。この絵馬はそうした場面を表現した大変珍しい儀式絵馬
である。画面下の庖丁式の人物は剥落部分があるが儀式の手つきがよく表現されている。
中央の家長とみられる人物とそれぞれの役割に応じた所作をしている人物もえのぐの退色
はあっても、剥落が少なく図柄も珍しい貴重な絵馬であるため今後の保存保護についての
検討が必要である。」
また戦争で犠牲になった戦死者の名前と戦死した場所をリストアップしたパネル(H9.12月)
も掲示されていました。

上の写真は光孝天皇を祀った祠です。
大正11年(1922)3月14日に光孝天皇山鎮座地から王子神社境内に合祀されました。

上の写真は光孝天皇神社の前にある御神灯で安永8年(1779)11月 願主は
中石野村の田中興平治の銘を確認できました。

上の写真は応神天皇を御祭神とする小祠です。
王子神社で忘れてはならない事項として経塚(きょうづか)の発見である。
神社境内の丘陵斜面の土砂崩れで偶然発見されたそうです。

上の写真は三木市立別所ふるさと交流館に展示されている経塚です。
土師器質の外容器及び須恵器質の経筒と転用蓋が出土しています。
経塚は末法思想が流行し始めた平安中頃から各地でつくられるようになりました。
発見された経塚の年代は平安後期~鎌倉時代前期と比定されています。

上の写真は同じく三木市立別所ふるさと交流館の展示パネルで一般的な経塚の構造
が示されています。発見された経塚の規模や構造は不明だそうです。
関連Blog(小生のBlogより)
志染(しじみ)の石室(いわむろ) on 2013-4-14
神戸市西区押部谷町木津の顕宗仁賢神社のひのき
そこでリストアップしたのは下記の神社です。
1.顕宗仁賢神社 神戸市西区押部谷町木津
2.宗賢神社(王子神社) 明石市西新町
3.清水神社 明石市魚住町清水字柿谷
4.宗賢神社 明石市魚住町清水字明神下
5.宗賢神社 明石市魚住町長坂寺字宮東
6.宗賢神社 明石市大久保町西脇字宮山
7.宗賢神社 明石市大久保町松蔭字宮山
8.若宮神社 神戸市西区枦谷村松本字西谷
9.宗賢神社 神戸市西区玉津町森友字見山
10.若宮神社 神戸市西区玉津町二ツ屋字天ケ岡
11.宗賢神社 神戸市西区玉津町下津橋字辰間ケ岡
12.宗賢神社 神戸市西区平野町中津字大歳
13.堅田神社 神戸市西区平野町繁田字堅田山
14.王子神社 三木市別所町下石野字王子山(今回訪問)
15.大歳神社 加東郡東条町吉井字阿口の下
(住吉神社の境内にある末社)
16.顕王神社 小野市高田町宮後910
(祭神は顕宗天皇のみ)
17.大歳神社 小野市小田町字操屋谷1276番地
18.大歳神社 小野市小田町字大手裏521番地
19.大歳神社 小野市脇本字ムセノ前129ノ13
20大歳神社 加東郡東条町東垂水字前山401番地
今回上記リストの王子神社を訪問(2013-7-13)しましたので写真紹介します。
三木市は奈良時代志染(しじみ)に屯倉(みやけ)=大和朝廷の直轄地が置かれ、
億計(おけ)=のちの仁賢天皇と弘計(をけ)=のちの顕宗天皇の兄弟が皇位をめぐる
争いから難を逃れるために志染に身をひそめていた伝説があり顕宗、仁賢両天皇に所縁が
深い場所でもあります。
億計、弘計の2王子は王子神社で祈願した後に皇位についたことから2人の天皇を祀ったと
伝承されています。
王子神社の基本情報
住所:三木市別所町下石野字王子山
創建:白雉年間(奈良時代初期)
ご祭神:顕宗天皇 23代 在位:485–487と仁賢天皇 24代 在位:488-498
光孝天皇 58代(830~87 在位884~887年)
応神天皇
前置きが長くなりましたが王子神社の写真を紹介します。

上の写真が王子神社の遠景です。

上の写真は本殿に顕宗、仁賢天皇を祀った王子神社の拝殿を正面から撮ったものです。

上の写真王子神社本殿の建物を側面から撮ったものです。

上の写真は絵馬殿に奉納された絵馬です。現地に説明板がありそのまま引用させて
いただきます。
「江戸時代 安政元年(1854) 応需春湖 縦100cm 横143cm
古来から格式の高い家中では正月の儀式として酒宴の際に庖丁式(道)の流儀を客人に
見せていた。流儀には四条流、大草流などがありそれぞれ作法があり、料理の作り方
に関してもきまりがある。この絵馬はそうした場面を表現した大変珍しい儀式絵馬
である。画面下の庖丁式の人物は剥落部分があるが儀式の手つきがよく表現されている。
中央の家長とみられる人物とそれぞれの役割に応じた所作をしている人物もえのぐの退色
はあっても、剥落が少なく図柄も珍しい貴重な絵馬であるため今後の保存保護についての
検討が必要である。」
また戦争で犠牲になった戦死者の名前と戦死した場所をリストアップしたパネル(H9.12月)
も掲示されていました。

上の写真は光孝天皇を祀った祠です。
大正11年(1922)3月14日に光孝天皇山鎮座地から王子神社境内に合祀されました。

上の写真は光孝天皇神社の前にある御神灯で安永8年(1779)11月 願主は
中石野村の田中興平治の銘を確認できました。

上の写真は応神天皇を御祭神とする小祠です。
王子神社で忘れてはならない事項として経塚(きょうづか)の発見である。
神社境内の丘陵斜面の土砂崩れで偶然発見されたそうです。

上の写真は三木市立別所ふるさと交流館に展示されている経塚です。
土師器質の外容器及び須恵器質の経筒と転用蓋が出土しています。
経塚は末法思想が流行し始めた平安中頃から各地でつくられるようになりました。
発見された経塚の年代は平安後期~鎌倉時代前期と比定されています。

上の写真は同じく三木市立別所ふるさと交流館の展示パネルで一般的な経塚の構造
が示されています。発見された経塚の規模や構造は不明だそうです。
関連Blog(小生のBlogより)
志染(しじみ)の石室(いわむろ) on 2013-4-14
神戸市西区押部谷町木津の顕宗仁賢神社のひのき
by seiyo39
| 2013-07-15 08:22
| 神戸以外の兵庫県
|
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