三木市 夏の義民祭 in 本要寺 on 2013-7-18 |
地子免許状(小作料免除の特権)が延宝の検地令により取り消されそうになり三木町10ケ町
514戸の代表として平田町大庄屋の岡村源兵衛と平山町年寄の大西与三右衛門の二人が、
決死の覚悟で幕府に直訴し三木町の免税特権を守った先人の遺徳を偲び例年と同様今年も
三木市のゆかりの本要寺で夏の義民祭が行われました。
様子を写真にて紹介します。
まずブログみっきいから当日のタイムスケジュールを転記させていただきました。
日時:平成25年7月18日(木)
午前10時~
場所:本要寺(三木市本町2丁目3-6 TEL:0794-82-0233)
行事内容
・墓前法要 午前10時~10時25分
・本堂読経 午前10時25分~11時
・講演 午前11時~正午(予定)
「古文書の整理・解読と活字化について」
「三木市有宝蔵文書を中心として」 講師 進藤輝司先生
・宝蔵虫干し 正午~午後3時30分
実行委員長:川崎正富 実行副委員長:原田功 司会:夏季義民祭代表 原善昭
上の写真が墓前法要の様子です。
上の写真は宝永4年(1707)の春建てられた義民の碑のアップです。
お2人の名前「岡村源兵衛」と「大西与三右衛門」と法名 及び実名の「成次」と
「勝家」が刻まれています。
またこの時期に同時に三木町宝蔵が建てられました。
上の写真は現在(2013-7-18)の本要寺境内の三木町宝蔵です。
宝蔵の建設にあたっては十河与一右衛門養隋(三木町下5ケ町惣年寄、酒造家)が功労者で
「三木町御免許大意録」の著者でもあります。
十河与一右衛門は貞享元年(1684)11月中町の光明寺の八角堂を寄進した。
堂内には仏師安阿弥作の如意輪観音菩薩他33体の仏像が安置されています。
光明寺について小生のBlogで写真紹介しています。(下記サイト)
三木市散策記 on 2013-2-3 その2 光明寺
上の写真は本堂での読経法要の様子です。
上の写真は進藤輝司先生から「三木市有宝蔵文書を中心として」
「古文書の整理・解読と活字化について」と題した歴史講話がありました。
その内容について概略記しておきます。
昭和25年(1950)頃に設立された「青甲社」を中心に1606点の三木町有古文書を
永島福太郎先生を奈良から招聘して解読作業を進めた。
昭和27年(1952)8月1日「三木町有古文書」を発行 500部非売品
130点の解読文と1606点の目録を収録
昭和49年(1974)8月 古文書調査委員会発足 平成3年7月終了
昭和52年(1977)9月 三木町有古文書のマイクロフイルム化(アルバイト3人、3ヶ月)
現在はボロボロで利用ができない状態
昭和53年(1978)3月25日 「三木郷土史の会」発足 三木史談発刊
昭和53年(1978)7月18日 関西学院大学教授永島福太郎先生「古文書の読み方」講話
昭和58年(1983)9月 「古文書を読む会」発足 第2,4日曜 講師は松村義臣先生
平成8年まで13年間 その後講師は進藤輝司先生と横山弘先生
が勤められ平成16年3月まで続けられた。
平成4年(1992)7月1日 「三木町有宝蔵文書出版事務委員会」を設置
図書館で週2回 10年間
出版物は全部で8巻平成14年3月刊行で完結
平成16年(2004)3月31日 「三木郷土史の会」解散
平成16年(2004)5月8日 「三木古文書研究会」スタート
「古文書を読む会」は発展的に解散
平成20年(2008)8月19日 永島福太郎先生永眠
平成25年(2013)6月27日 神戸大学(神戸市灘区)と連携協定を結ぶ
上の2枚の写真は年1回の虫干しの様子です。
上の写真は本要寺の遠景。手前の向日葵が綺麗でした。
上の写真は夏の義民祭のポスターです。
本要寺に関する紹介記事(小生のBlogより)
三木市散策記 on 2013-2-3 その1 本要寺