夙川 一願大聖不動明王 in 西宮市 on 2012-9-9 |
夙川 一願大聖不動明王を見つけ写真をとりましたので紹介します。
上の2枚の写真が夙川 不動明王の遠景と拡大です。
一つだけ、お願いがかなう不動明王様ということで不動明王石像の台座に
「夙川 一願大聖不動明王」と書かれていました。
私の願いとして「これからもボケずにより有益なブログ記事を書けますように!」
と願掛けをしました。
明王は「悪を打ち砕く王、使者」の意。
こちらの不動明王の石像は安政年間(1854~1859)の作で
光背には火炎がつけられ、右手に宝剣、左手に羂索(けんさく)を持った基本の像です。
五大明王 (ごだいみょうおう)は、不動明王を中心として東に降三世明王(ごうざんぜ―)
南に軍荼利明王(ぐんだり―)、西に大威徳明王(だいいとく―)、北に金剛夜叉明王
(こんごうやしゃ―)が配置されますがこちらの一願大聖不動明王も五大明王の形式を
踏襲しようとしている?と思われます。
上記の配置は真言宗(東密)のもので、天台宗(台密)は金剛夜叉明王の代わりに
烏枢沙摩明王(うすさま―)が配置されます。
通常不動明王像は、片目で天、片目で地を睨み、口から2本突き出した牙も片方は
上向き、もう片方は下向きである左右非対称の面相で表現されることが多いが、
こちらの不動明王像は平常眼(へいじょうがん) という非常に珍しいものです。
平常眼の像は両眼とも正面を睨み、上顎の前歯で下唇を噛み、左右の牙を下向きに
しています。
空海によって日本へ持ち込まれた不動明王はこの平常眼のお姿であった。
上の写真は夙川 不動明王の由緒などを記載した説明書きです。
要旨を抜き書きしておきます。
「夙川 不動明王は安政年間の作で剣谷にあったが、昭和12年?(昭和13年では)
甲陽大池決壊のため流出し、苦楽園川筋の橋下に埋没していたのを現在の位置に
お祀りするようになった。夙川 不動明王の徳を讃え右の詩を得たものです。
御真言 なうまく さんまだ はさらだ せんだん まかろしやだ そわたや
うんたらた かんまん
毎月 8日、18日、28日に護摩供養」
甲陽園近くに真言宗の鷲林寺(じゅうりんじ)おいうお寺がありこちらとの関連があるか?