良心碑 in 同志社大学今出川キャンパス on 2013-10-22 |
写真紹介します。 撮影:2013-10-22
念のために地図を添付しておきます。
この石碑(良心碑)は昭和15年(1940)11月29日(同志社創立65周年記念)と
新島襄永眠50周年にあたり、記念事業の一環として建立されたもの。
同志社大学の前身、同志社英学校の創立者の新島襄は誰よりも「良心」が大切である事を
説き教えました。
上の2枚の写真は同志社大学今出川キャンパスの正門側から観た植え込みの中の
良心碑。
「良心之全身ニ充満シタル丈夫(ますらお)ノ起リ来ラン事ヲ」と刻まれています。
上のような説明板が設置されていました。説明板より転記引用させていただきます。
良心碑 「良心之全身ニ充満シタル丈夫(ますらお)ノ起リ来(きた)ラン事ヲ 新島襄」
同志社の創立者、新島襄(1843-1890)が同志社普通学校5年生の横田安正(やすただ)
に送った手紙(1889年11月23日付)の中の一節。
新島の自筆を拡大して刻む。「一国の良心」となる人物の養成を使命とした新島の教育理念
を端的に示す。同志社創立65周年記念(1940年11月29日)に除幕。
裏面に徳富蘇峰(そほう)の筆で碑の由来を彫る。
「新島先生、同志社大学 [設立]運動中、東京ヨリ在校ノ一学生ニ与ヘタル書簡中ノ一節ヲ
録ス。先生永眠五十周年ニ際シ追慕の餘(あまり)、門生胥議(しょぎ)シテ之(これ)ヲ
先生の故郷[群馬県]ノ産、碓井(うすい)石ニ勒(ろく)ス
昭和15年10月 蘇峰 徳富正敬書
石ハ社友 半田善四郎君ノ寄贈ナリ」
同志社大学 創立1875年
英文の説明板の転記は略。
関係年譜
明治8年(1875) 8月4日 新島襄、山本覚馬と同志社を結社
明治8年(1875)10月12日 神戸女学院の校舎が完成 土地の名義は新島襄、それを
デイヴィス宣教師が賃借のかたちをとる
明治8年(1875)11月29日 新島襄、デイヴィス宣教師の賛助を得て同志社英学校を開校
新島譲が新島八重と婚約したのは明治8年(1875)10月15日。
結婚は明治9年(1876)1月3日。
新島八重も結婚の前日(1月2日)J.D.デイヴィス宣教師から洗礼を受けています。
明治9年(1876)10月24日 京都御苑内の旧柳原邸でKioto Home(女子塾)開設
教員はA.J.スタークウェザー(1868年設立の太平洋女性伝道局の宣教師
アメリカンボードと協力)
明治10年(1877)に女紅場(にょこうば)となり女学校に発展していきます。
新島八重もこの同志社分校の女紅場で小笠原式古礼法(会津藩日新館で会津藩士が
習っていた作法)を教えた。新島八重の母親さくの女紅場の舎監になった。
明治20年(1887)11月15日 京都看病婦学校と同志社病院の開業式を同志社チャペル
で挙行
設立にはアメリカンボードのC.ベリーが活動した。アメリカで最初の有資格看護婦
リンダ・リチャーズを宣教看護師として迎えた。
京都看病婦学校は東京病院看護婦養成所に次ぎ日本で2番目に設立された
看護教育機関である。
上記の京都看病婦学校と同志社病院は設立後約20年で廃校、廃院となった。
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