温故知新の碑 in JR西日本グランド on 2013-12-21 |

この碑に書かれた「温故知新」の意味を広辞苑第4版で調べてみると次のように書かれていました。
おんこ‐ちしん【温故知新】ヲン‥. [論語為政「温故而知新、可以為師矣」] (古い事柄も新しい物事もよく知っていて初めて人の師となるにふさわしい意) 昔の物事を研究し吟味して、そこから新しい知識や見解を得ること。 古きをたずねて新しきを知る。
温故知新の碑に隣接して説明板がありそこにJR西日本鷹取工場の歴史が書かれていましたので引用紹介します。
明治33年(1900)3月 山陽鉄道株式会社鷹取工場として創立
明治39年(1906) 山陽鉄道株式会社が国有化
昭和62年(1987) 国鉄民営分割化
平成7年(1995)1月 阪神淡路大震災で壊滅的な打撃があったが早期復旧した 震災時には避難所として風呂の提供など地域貢献した。
平成12年(2000)4月 神戸市による「震災復興土地区画整理事業」の実施に伴い鷹取の地を離れ兵庫県揖保郡太子町に移転、網干総合車両所として生まれ変わる
小生が書いた過去のブログにリンクしておきます。
妙法寺左岸公園の案内板が伝える阪神淡路大震災の記録
JR西日本の車両が地震によってどのようになったかがよく判る写真があります。
JR鷹取工場

WikipediaからJR西日本鷹取工場の歴史について引用添付させていただきます。
創設から戦前まで
創設は
1900年(明治33年)3月1日、山陽鉄道が開業当初から兵庫駅構内に開設していた兵庫工場が手狭になり拡張の余地もなかったための代替施設として設けられた。国有化に伴う鉄道院への承継後1909年(明治42年)12月20日に兵庫工場を吸収統合、また1915年(大正4年)4月1日には大阪・神戸間鉄道開業以来の歴史を有する神戸工場の組織を吸収して支工場とし、翌1916年(大正5年)4月6日には完全統合した。その他鉄道省の組織変遷の中で、多度津・米子・池田(大阪府)の各工場が鷹取工場の支工場や派出所とされた時期もあった。
1942年(昭和17年)9月11日、全国23の工場が一斉に改組されて名称が鷹取工機部に改められた。
戦争の影響
1945年(昭和20年)6月5日の神戸大空襲によって壊滅的な打撃を受け、疎開先として加茂・和田山・加古川に派出職場を作るなどした。その後機能低下を補うため1946年(昭和21年)1月20日になって兵庫県加古郡荒井村(現在の高砂市)の旧大阪陸軍造兵廠の播磨製造所跡に鷹取工機部の高砂分工場を設置、1947年(昭和22年)3月1日には高砂工機部として独立した。
なお高砂工機部(後の高砂工場)は1985年(昭和60年)4月1日に閉鎖され、その業務は鷹取工場へと集約された。
戦後
1952年(昭和27年)8月5日、全国一斉の工機部から工場への名称変更に伴い鷹取工場の名称が復活した。
1973年(昭和48年)9月1日、組織上の位置づけが大阪鉄道管理局の地方機関に変更された。鷹取工場は従来支社制が採られている時期には関西支社の地方機関であり、支社制が採られていない時期は本社直轄の地方機関であり、その位置づけは大阪鉄道管理局と並列的であった。ところがこの時の組織改正においては、首都圏本部及び4総局の管理下にある工場を除き一斉に鉄道管理局の地方機関とする位置づけに変更された。
蒸気機関車の製造・検修に輝かしい実績を残してきた鷹取工場だが、話題としては、国鉄80周年記念行事の一環として、明治初期に米国から輸入され北海道開拓に活躍した義経号の動態復元工事に携わった。蒸気機関車全盛期を過ぎてからは時代の流れに応じてディーゼル機関車や電気機関車にも対応するようになり、後年には岡山電車区などに所属する電車の検修業務も行っていた。
震災
1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災で被災し、工場や入場していた車両も被害を受けた。特に入場中のC57形蒸気機関車1号機はボイラーなどが大きく損傷し「再起不能」とまで言われたが、懸命の復旧作業で見事営業運転に復帰させ鷹取工場の技術を示した。
このように長い歴史を築いてきた屈指の名門工場だったが震災の痛手は余りにも大きく、また神戸市からの強い要請にも配慮することとし、閉鎖されることとなった。
終焉
終業式典が挙行された2000年(平成12年)3月29日には、この日最後の検査をすませた221系6両の出場記念式典も併せて執り行われた。
跡地利用
跡地は駅前広場・バスターミナル・神戸市立だいち小学校・復興住宅・その他の市施設・病院・スーパー・民間マンション・妙法寺川左岸公園などへの再開発が進んでいるほか、JR西日本が売却せず社員福利厚生用の神戸総合グラウンドや鷹取駅に直結する30階建の分譲タワーマンションとして整備された区域もある。
跡地は神戸市須磨区に属するが、一時期に局舎建て替えのため長田郵便局(現在の日本郵便長田支店)の仮設局舎(窓口業務を行わない、郵便物の集配業務のみを行う業務棟)があった。
なお、日本貨物鉄道の神戸貨物ターミナル駅荷役ホーム設置場所が鷹取工場跡地であると混同されがちだが、ここは元々鷹取駅の管理に属する操車場だった一帯である。