神戸シナゴーグ on 2013-11-20 |
シナゴーグとはギリシャ語「シュナゴゲー」に由来し、集まり、集いという意味である。
ユダヤ教会堂とも訳されキリスト教の教会、仏教の寺院、イスラム教のモスクに相当する。
日本には現在ユダヤ教会堂は神戸の他に東京広尾にあるだけです。
神戸シナゴーグの基本情報
住所:神戸市中央区北野町4丁目12-12 TEL:078-242-7254 関西ユダヤ教団
関西ユダヤ教団の公式HP
ユダヤ教の系統:セファラディ系 Mizrachi (Sephardic) style
設立:1912年
ユダヤ人が日本に来たのは日本の開港以降(1860年代)で多くの外国人に交じって
ユダヤ人も長崎、横浜、神戸に来た。
神戸シナゴーグが神戸に設立されたのは大正元年(1912)である。
長崎では日露戦争(1904-1905)でロシアとの交易が衰え長崎のユダヤ人共同体は閉鎖し
神戸へトーラーの巻物(キリスト教のモーセ五書に相当)などを譲渡した。
また、大正12年(1923)の関東大震災で大打撃を受けた横浜のユダヤ教会堂に属していた
人たちは東京に拠点を移した。神戸にも50家族が移住してきた。
1920年代の神戸シナゴーグの状況としては約200人の規模でセファラディ系と
アシュケナジィ系が別々のシナゴーグに別れて礼拝していたという。
1930年代後半になると社会情勢からユダヤ人共同体はセファラディ系が主体となり
1939年に新しい地区にシナゴーグが移転した。
太平洋戦争(15年戦争)では多くの外国人が国外退去となり、ユダヤ系においてシナゴーグで
礼拝活動をしていたのはわずか18から20家族であった。
1970年になり現在の北野町に新しいシナゴーグが建立されオヘル・シュロモーシナゴーグ
英文表記でOhel Shelomo Synagougueと命名された。
以上はミナト神戸の宗教とコミュニティ 関西学院大学キリスト教と文化研究センター編
神戸新聞総合出版センター(2013) 執筆者:畠山保男 氏 より要約引用
自分にとって 下記の朝日新聞社「写真が語る戦争」取材班『朝日新聞の秘蔵写真が語る戦争』朝日新聞出版, 2009.に書かれて
いるような杉原千畝の命のビザでリトアニアから敦賀経由で神戸へ逃れてきたユダヤ人の状況を調べたかったのであるが
当日人気もなく中に入ることができなかったのでこの件はのちの課題としたい。
『神戸では、戦前からロシア系や中東系のユダヤ人数百人のコミュニティーがあり、
ナチスに追われて日本にたどりついたユダヤ難民を受け入れた。40年夏からは在リトアニア日本領事館の杉原千畝から
日本の通過ビザを受けた数千人のポーランド系ユダヤ難民が、ソ連・ウラジオストクから福井県・敦賀を経て、
神戸に押し寄せた。41年12月の太平洋戦争開戦までに、神戸に滞在したユダヤ難民は計約4600人に上る。
今は「異人館通り」で知られる北野・山本通に拠点を構えていた神戸ユダヤ協会が、同胞たちに宿舎や滞在費を提供した。』
またユダヤ人救済に尽力した小辻節三についても今後調査していきたい。
関連サイト
東京の日本ユダヤ人協会 http://www.jccjapan.or.jp/
東京はアシュケナジィ系保守
神戸のシナゴーグ
http://homepage2.nifty.com/markhara/TheKobeSynagogue.html
杉原千畝メモリアル
http://www.town.yaotsu.gifu.jp/E/index.html
ホロコースト記念館 福山市
http://www.urban.ne.jp/home/hecjpn/indexENGLISH.html
アウシュヴィッツ平和博物館 福島 白河市
http://www.am-j.or.jp/index2.htm
日本のシンドラー 杉原千畝
http://seiyo39.exblog.jp/19707920/
敦賀散策記 その16 敦賀ムゼウム
http://seiyo39.exblog.jp/18747736/
シュエケ邸 on 2012-3-29
http://seiyo39.exblog.jp/18690018/