鉾礼山 正法寺 訪問記 in 三木市 on 2013-7-3 |
最近、図書館で播磨西国三十三カ寺巡礼 藤木明子著 昭和59年(1984)
を借りて読んでいたら観音霊場第23番で鉾礼山 正法寺が紹介されて
いました.それに刺激を受け写真を中心に記事を書くことにしました。
鉾礼山 正法寺の基本情報
住所:兵庫県三木市別所町正法寺157 TEL:0794-82-5232
宗派:高野山真言宗 山号:鉾礼山(むれいさん)
御本尊:十一面千手観世音菩薩 開基:法道仙人
創建年:大化5年(649) 中興:奥蓮上人
所在地の地図を添付しておきます。
山門の前に境内の略図と正法寺の歴史について書かれたものから
引用紹介させていただきます。
平成元年時点で現住第61世秀典和尚が記載
人皇 36代孝徳天皇の御代(645-654) 法道仙人の開基
大化5年(649) 創建 7院12坊
天禄年間(970-972) 64代円融天皇の勅願道場となる
年代不詳 奥蓮上人中興再興 3院7坊
天正8年(1580)三木合戦で秀吉軍の兵火に遭い焼失
天正11年(1583)快秀上人によって3院3坊を再建
慶長16年(1611)長勢 大師堂・開山堂を再建
慶長17年(1612)本坊(金剛院)を再建
元和元年(1615)明石城主 小笠原忠政より高20石寄進受け
慶安元年(1648)将軍徳川家光公より御朱印下賜
以来歴代将軍より先規に準じて御朱印下賜
明治維新の廃仏毀釈により20年間無住
明治22年(1889)石野大秀により復興
続く法秀、海秀を経て現在に至る
大正13年(1924)金剛院境内に山門を建立
昭和28年(1953)大師堂を本堂横から現在地に移転修復
昭和48年(1973)台風と老朽化により本堂倒壊
平成元年(1989)開創 1340年 近代復興100年記念事業として
曼荼羅の丘落慶
中国風の門で不老門と呼んでいるそうです。先代の住職が
三木地方では数少ない茶人で旅の途中で不老門が気に入り
建立されたそうです。(播磨西国三十三カ寺巡礼Page146)
真如院と大乗院は無住のまま老朽化消滅
軒下の御詠歌が掲げられています。
「しょちょうまで仏の前へ鉾礼山(むれいざん)
これぞまさしきのりの寺かな」
上の写真は曼荼羅の丘の白寿観音像(延命 ぼけ封じ)
昔の表参道であったそうです。
下記は播磨西国三十三カ寺のリストです。
札番 山号/寺院名 所在地
第1番 書写山 圓教寺 兵庫県姫路市書写2968
第2番 富田山 性海寺 兵庫県飾磨郡夢前町宮置812
第3番 八徳山 八葉寺 兵庫県神崎郡香寺町相坂字八徳山
第4番 増位山 随願寺 兵庫県姫路市白国3丁目25-5
第5番 巨福山 光正寺 兵庫県姫路市野里慶雲寺前町10-1
第6番 松原山 八正寺 兵庫県姫路市白浜町松原389
第7番 朝日山 大日寺 兵庫県姫路市勝原町朝日谷19
第8番 稲富山 圓融寺 兵庫県揖保郡御津町岩見807
第9番 寶生山 長楽寺 兵庫県赤穂市砂子398
第10番 済露山 高蔵寺 兵庫県佐用郡三日月町下本郷十七
第11番 船越山 瑠璃寺 兵庫県佐用郡南光町船越877
第12番 七種山 金剛城寺 兵庫県神崎郡福崎町田口236
第13番 雪彦山 満願寺 兵庫県飾磨郡夢前町新庄938
第14番 龍上山 延応寺 兵庫県朝来郡生野町口銀谷81-1
第15番 金楽山 法楽寺 兵庫県神崎郡神崎町中村1048
第16番 泉生山 酒見寺 兵庫県加西市北条町北条1319
第17番 蓬莱山 普光寺 兵庫県加西市河内町1449
第18番 五峰山 光明寺 兵庫県加東郡滝野町光明寺433
第19番 和多山 西仙寺 兵庫県西脇市西田町88
第20番 柏谷山 西林寺 兵庫県西脇市坂本454-123
第21番 御嶽山 清水寺 兵庫県加東郡社町平木1194
第22番 白鹿山 掎鹿寺 兵庫県加東郡東条町掎鹿谷692
第23番 鉾礼山 正法寺 兵庫県三木市別所町正法寺157
第24番 野寺山 高薗寺 兵庫県加古郡稲美町野寺851
第25番 高和山 性海寺 兵庫県神戸市西区押部谷町高和1318
第26番 近江山 近江寺 兵庫県神戸市西区押部谷町近江174
第27番 補陀山 観音寺 兵庫県明石市二見町東二見1643
第28番 生竹山 観音寺 兵庫県加古川市尾上町池田399
第29番 道林山 横蔵寺 兵庫県加古川市平岡町新在家900
第30番 興禅山 圓通寺 兵庫県高砂市曽根町2034
第31番 大梅山 清勝寺 兵庫県姫路市大塩町1089
第32番 牛堂山 国分寺 兵庫県姫路市御国野町国分寺121
第33番 法華山 一乗寺 兵庫県加西市坂本町821-17
客番 天徳山 常光寺 兵庫県加古川市神野町神野332-1
ほとんどの寺が未訪問です。今後時間をかけて訪問したいと思っています。
先代の海秀師の事が頭によみがえりました・・・
三木中学校で国語の教鞭をとられていて、私も生徒の一人でした。今度帰郷した折に時間を見て訪れてみたいと想います。
秋の伽耶院や慈眼寺も良い佇まいの処ですよ。
失礼しました。
コメントありがとうございました。
先代の住職のことやら秋の伽耶院や慈眼寺の紹介など三木への郷土愛を感じました。軍師官兵衛でも三木合戦が集結したところで黒田官兵衛が晴れて1万石の大名になりました。官兵衛紀行では平井山本陣、竹中半兵衛の墓、三木城が紹介されていました。