光姫フェスティバル~輿入れの儀行列~ in観音寺(志方城跡) 2014-1-26 |
まず、観音寺の紹介からします。
観音寺の基本情報
住所:加古川市志方町志方町720 TEL:079-452-2370
宗派:曹洞宗
御本尊:観世音菩薩
現在の観音寺は、志方城落城の後、天正15年(1587)、宝岩宗珍和尚が
城主の墓碑を守るために城の本丸跡に禅寺を建立したのが始まりです。
志方城は市易城とも呼ばれ、城の規模は現在の当観音寺の境内を本丸とし、
本丸を囲む内堀の周囲に二の丸(志方小学校所在のあたり)
西の丸(旧志方町役場所在のあたり)とかなりの規模の城であった。
この城の城主、櫛橋家は藤原氏の末裔で伊朝を元祖とし代々赤松氏の家臣であった。
伊朝より5代の孫、櫛橋左京亮則伊は、赤松政則に仕えて大いに重んじられ
祖父の例にならって播備作3国の財産出納の役をつとめ
文明13年(1481)志方・天神山に城を築き、
明応元年(1492)この地に志方城を築いた。
以来伊家、伊定と父子3代80年間続いたが、天正7年8月10日羽柴秀吉の
攻略にあって落城した。
昭和56年2月 加古川市文化財保護協会
市は新しい説明書き(上の写真)を作成されていました。上記の説明に加えて次の記述が書かれています。「伊定の娘の光/てる(幸圓・こうえん)は秀吉の軍師として活躍した黒田官兵衛の妻となり、結婚した翌年に嫡男が生まれました。後の福岡藩主・黒田長政です。現在の観音寺は、志方城落城の後、天正十五年(1587)、宝岩宗珍和尚が城主の墓碑を守るために城の本丸跡に禅寺を建立したのが始まりです。」
いよいよ本番です。9時45分くらいから前観音寺住職ので「志方光姫の会」会長の村上博生(はくしょう)さんの挨拶
加古川市副市長の挨拶。
黒田官兵衛の名代として黒田官兵衛の叔父の黒田休夢(きゅうむ)この役は講談師の旭堂南海さんが櫛橋家の居城である志方城に到着するところから始まります。
黒田官兵衛の叔父の黒田休夢の言上とそれを迎えた黒田官兵衛の妻となった光姫と父親役櫛橋左京亮伊定(さきょうのすけこれさだ)
いよい輿入れの儀と行列が始まりました。