弘天さんと智慧の輪くぐり on 2014-1-28 |
撮影日:2014年1月28日
早速、写真紹介します。
設置された時期(20111年12月)に神戸新聞2011年12月28日朝刊で紹介されています。
設置場所の地図を添付しておきます。
神戸市須磨寺町2
弘天さんの由来
弘法大師・空海と天神様・菅原道真公は平安時代の日本が生んだ天才と呼ばれています。お二人は深い学問をおさめられ、その無量の知識を、慈悲を本とした智慧として発揮され、人間として生きる正しい道を論され、多くの人に夢と希望を与えられました。そのため、お二人をそれぞれにお祀りする、須磨寺と綱敷八幡宮を結ぶ道は「智慧の道」と呼ばれ、親しまれてきました。その「智慧の道」ににあるこの祠は7歳の弘法大師と5歳の天神様が一緒に祀られており、お二人の一字ずつを頂いて「弘天さん」と名付けられました。また丸に五角形の大きな穴が開いている石は「智慧の輪くぐり」といい、この五角形の穴を通って「弘天さん」をお参りすると、入学や資格試験等をはじめ全ての難関を通り抜けるとことが出来ると言われています。お大師様は7歳の時に、衆生を救わんととの願いを立て、高い崖の上から飛び降りたところを天女に救われ、天神様は5歳の時に、庭に咲く梅の花をみて「うつくしや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくぞある」という一首を詠まれました。まさにお二人の将来を示す出来事であり、、ここは幼くして智慧と慈悲に目覚められたお二人をご一緒にお祀りする、日本で唯一のありがたい祠であり「智慧の輪くぐり」は、腰を低くして頭を下げなければ通れない、まさに人間にとって一番大事な謙虚さと、いつも忘れてはならない感謝の思いを姿として表すことが出来るのです。以下略。
弘法大師と菅原道真公についてWikipediaの解説を引用紹介します。
1.弘法大師
空海(くうかい、宝亀5年(774年) - 承和2年3月21日 (旧暦)(835年4月22日))は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。俗名(幼名)は佐伯 眞魚(さえき の まお)。日本天台宗の開祖最澄と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。
2.菅原道真
菅原 道眞(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん、承和12年6月25日(845年8月1日) - 延喜3年2月25日(903年3月26日))は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。
忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。しかし、左大臣藤原時平に讒訴(ざんそ)され、大宰府へ権帥として左遷され現地で没した。死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。
小倉百人一首では菅家。