孫中山先生 大アジア主義講演会の石碑 on 2014-1-29 |
孫文先生は明治28年(1895)11月10日に初来日して以来18回来神しており、
その中でも18回目の来日期間である大正13年(1924)11月24日より
11月30日までの神戸滞在で、11月28日に神戸高等女学校
(現在は兵庫県庁の1号館の北東から2号館あたり)で3,000もの聴衆の前で
行われた「大アジア主義」の演説は翌年癌で死亡する前年の孫文58歳のときであった。
演説の後半で日本人に対し投げかけた次の言葉は現在生きる我々日本人にとっても
意味のある言葉で世界及びアジアの中で尊敬される立場の日本人を目指すことは
重要である。
「今後、日本が世界の文化に対し、西洋覇道の犬となるか、あるいは東洋王道の干城
(かんじょう)となるか、それは日本国民の慎重に考慮すべきことであります」
日本の軍国主義を批判している。
大アジア主義の講演会はじょうきのとおり大正13年(1924)11月28日14時
から県立神戸高等女学校講堂でおこなわれました。主催者は神戸商業会議所で
後援として大阪朝日新聞社、大阪毎日新聞社、神戸又新日報社、神戸新聞社の
4紙がしており。各新聞が11月29日に報道しています。
神戸新聞の1924年11月29日の報道の見出し部分のみ記載しておきます。
「熱狂する聴衆を前に大亜細亜問題講演」1面のトップ記事です。
孫文(孫中山)先生の奥様の宋慶齢も英語で講演しておりその様子も報道。
孫文の写真(右)や通訳の載季陶(左)や宋慶齢の写真も見えます。
さらに神戸商業会議所会頭の瀧川儀作の写真もあり。
大アジア問題の講演要旨について孫中山記念館(移譲閣)概要 2001.6.30発行の
書籍Page20より引用させていただきます。
「アジアは、文化発祥の地である。ギリシャ、ローマの文化も元々はアジアから
伝えられたものです。ここ数百年、ヨーロッパの圧迫により衰退の極にあった
アジアにも、30年ほど前から復興の機運が芽生えてきた。日本が不平等条約の
撤廃に成功し、日露戦争に勝利するなどしてアジアの諸民族の独立運動を鼓舞
してきたからである。ヨーロッパの文化は武力による覇道だが、東洋の文化は
仁義道徳に基づく王道である。ヨーロッパの文化は学ばなければならないが、
それは他民族を抑圧するためではなく自衛のためである。東の日本と西のトルコ
は、ヨーロッパの武力の文化を学んで強力となった。大アジア主義の課題とは、
アジアの諸民族が団結してどのようにしたら強大な欧州諸民族の圧迫に抵抗
できるかということである。ロシアのように西方にも王道を主張する民族が
現れている。大アジア主義は、王道を基礎とし、世界諸民族の平等な関係を
うちたてることをめざす。日本民族は、覇道の文化を習得しかつ王道の文化の
本質も備えている。では、世界の文化の前途に対して西方覇道の鷹犬(手先)
となるのか、それとも東方王道の千城(守り手)となるのか、日本国民は慎重に
考え、選択していただきたい。」
民国日報 1924年12月8日より作成
最後に1924年11月の孫文先生の日本訪問の足どりを移譲閣の展示パネルより紹介し筆を置きます。