北向地蔵尊と郡界の碑 on 2014-1-11 |
詳しい位置(グーグル地図)はこちらを参照してください。http://seiyo39.blog.eonet.jp/default/2014/02/post-13a2.html
所在地の周辺を示した写真を添付します。
早速写真を掲載します。
「大雨で生田川の水が溢れてしまった時、村人は必死に土嚢を積みあげたがその土嚢も底をつき疲れ果てた人々は小屋に帰りました。その時、流木が土手にひっかかり堤が切れそうになったが誰も立ち上がろうとせず小屋のローソクも消えてしまった。すると、堤のほうで何かを引きずって水に沈める音が聞こえてきた。翌朝、村人が起きてみると、流木が引っかかって堤がきれそうになっているところに大きな石が投げ込まれ土手が直されていた。そして、土手の上に見たこともないお地蔵さんがやさしい顔でちょこんと座っていたのである。村人はこのお地蔵さんが堤を直してくれたと思い、川の西にお堂を建て、切れそうだった堤の方に向けて祀った。これが北向地蔵尊(北向地蔵)のはじまりと言われています。」
以上の出典:神戸歴史トリップ 新中央区歴史物語(改訂版)平成17年(2005) 道谷卓 著
八部/莵原 両郡界 生田 と書かれています。
もともとは旧生田川の堤防にあったがいつの頃か北野川沿いに移されその後現在の場所に移った。
今でも地元の人達が熱心に参っており、良く管理されている。