「怒涛を越えた男たち」の石碑 in 播磨町古田の正願寺 on 2014-2-22 |
ジョセフ・ヒコ(Joseph Heco)は日本で最初に民間新聞を発刊したことで知られています。洗礼名はジョセフ・ヒコ (Joseph Heco)でここではメインとしてこの名前を踏襲するが、アメリカ彦蔵(アメ彦)、浜田彦蔵、ジョセフ彦、浜田彦太郎、墓碑に彫られた浄世夫彦などの別名もある。日本名では浜田彦蔵で幼名は彦太郎天保8年(1837)9月20日に現在の播磨町古宮に生まれました。嘉永4年(1851)、満13歳のときに漂流し、アメリカ船(オークランド号)に助けられてアメリカサンフランシスコに行きます。1年後に香港経由で日本に帰還させられる予定であったが、その年(嘉永5年)10月に香港より再びアメリカへ渡航(2度目)しそして、安政6年(1859)22歳で日本に帰国し領事館通訳などの職につきます。しかし翌年(安政7年)2月に職を辞め、貿易商館を開く。当時は尊皇攘夷思想が支配しており外国人だけでなく外国人に関係した者もその過激派によって狙われる時代であったため、ジョセフ・ヒコは身の危険を感じて文久元年(1861)9月17日に3度目のアメリカに戻った。文久2年 (1862)10月13日、横浜に帰り再び米国領事館通訳の仕事を始めるが、文久3年( 1863) 9月30日、領事館を辞任し商売を始める。この年の秋には漂流記を上梓。さらに元治元年6月28日(1864年7月31日)、岸田吟香の協力を受けて、英字新聞を日本語訳した「海外新聞」を発刊。これが日本で最初の日本語の新聞と言われる。ただしこの新聞発行は赤字であったため、数ヵ月後に消滅した。慶応2年( 1866) 12月25日(新暦換算)、横浜を去り長崎に向うここで伊藤博文や木戸孝充と知り合いとなる。慶応4年(1868)9月22日生まれ故郷の古宮に帰郷した。東京を中心に活動した。以下の略歴を略す。明治30年( 1897) 12月12日、心臓病で死去。青山の外国人墓地に葬られる。
嘉永三(1850)年十月
千六百石積廻船永力丸
遠州灘沖にて破船
太平洋上を漂流すること五十余日
船頭万蔵ら十七名
米船オークランド号に救助され
サンフランシスコに上陸
異文化に触れ とまどい おののき
憧れつつも 遠き故郷の山河を思う
鎖国から開国 動乱と混迷の時代
怒涛の果てを見た男たちがたどる
希望と失意 栄光と挫折の生涯
歳月過ぎて 漂流より百五十年
その面影を(イラストレイテッド・ニュース1853年1月22日刊)より写し
記念の碑とす
2000(平成12)年12月
銘
1980年以来 漂流史料の調査にあたっ
てきた小職は 海の男たちを紹介・顕彰する
記念スポットが本町内に設置されることを願
っていたが その機運に恵まれなかった
表記の永力丸漂流人と当寺には特別な関係
は無いが このたび門徒総代等の協賛を得て
当山境内に記念碑建立のご縁が結ばれた
建立・碑文 井上朋義
協賛 正願寺住職・門徒総代・他
藤本健八氏所有「ニューズ」より複写(1.37倍)
ここで話題を変え正願寺(しょうがんじ)について若干触れておきます。
正願寺(しょうがんじ)の基本情報
住所:兵庫県加古郡播磨町古田3丁目18番10号 問い合わせ先:0794-37-8455
宗派:浄土真宗本派 山号:能念山 御本尊:阿弥陀如来
創建:寛永7年(1630)
正願寺の前住職で4年前に亡くられて井上朋義氏(1931-2010)は播磨町の教育長や播磨中央公民館の館長なども歴任されジョセフ・ヒコの顕彰と調査研究をされており多くの著作を残されました。その一端を紹介します。
怒涛を越えた男たち(漂流史料研究集)
発行年:平成9年12月1日
編集:「怒涛を超えた男たち」編集委員会
発行:播磨町・播磨町教育委員会
筆者:東根武一、中嶋仁道、井上朋義
A5判389ページ
上記書籍の第2章(Page98)から第7章(Page385)までを分担執筆。
絵ものがたり ジョセフ・ヒコと洋式帆船の男たち
編集:播磨町ふるさとの先覚者顕彰会
発行:播磨町
文:井上朋義
絵:最上浩和
A4判 47ページ
Ban Cul:播磨が見える 63号(2007/3)~66号(2007/12) 播磨人物伝 新聞の父ジョセフ・ヒコ
Ban Cul:播磨が見える 50号(2003/12/15) 7万年の播磨史 近・現代(明治)明治元年(1868)8月7日ジョセフ・ヒコ19年ぶりに故郷へ;漂流から生還後、実業界・外交界で活躍
上記の雑誌への投稿。
光塩丸フィリピン漂流記 : 徳三郎異国見聞録 井上朋義 著 井上朋義 1983.11
栄力丸漂流人 : ふるさとへの遠い道 井上朋義 著 井上朋義 1984.5
心に残る風景 井上朋義 文・スケッチ 正願寺 2006.5
追慕抄 : 俳句・短歌撰集 [井上トヱ] [著] ; 井上朋義 編 正願寺 2007.7
上記の詳細は
http://www.town.harima.lg.jp/profile/profile_senkakusya/profile_senkakusya_dotou.html
防災行政無線チャイム 兵庫県加古郡播磨町「ふれあいの歌」
井上朋義 作曲
http://www.yourepeat.com/watch/?v=BmfoGoxFRWo
はりまカルタ
発行者 播磨町教育委員会
句・絵 井上 朋義
句補作 村津 雅夫
文字 籠谷 久
平成21年度 播磨町ことぶき大学(播磨町 中央公民館)
平成21年6月10日
ジョセフヒコとその仲間 井上 朋義 先生 講演
ジョセフ・ヒコ(Joseph Heco)を紹介した小生のブログのリストアップしておきます。(播磨町関連のみとした)
ジョセフ・ヒコの生家跡 in 兵庫県播磨町 on 2012-6-9
What he has seen and the people he has met in the course of the last forty years
By JOSEPH HECO Edited by James Murdoch,M.A
(FROM THE TIME OF HIS BEING CASTWAY IN 1850 DOWN TO THE FIGHT OF SHIMONOSEKI
ジョセフ・ヒコ(Joseph Heco)の生まれ故郷 播磨町 散策記 その1 ジョセフ・ヒコの銅像
ジョセフ・ヒコ(Joseph Heco)の生まれ故郷 播磨町散策記 その2 新聞の父ジョセフ・ヒコの記念碑
ジョセフ・ヒコ(Joseph Heco)の生まれ故郷 播磨町散策記 その3 新聞の父濱田彦蔵の碑
ジョセフ・ヒコ(Joseph Heco)の生まれ故郷 播磨町散策記 その4 蓮花寺の横文字の墓
to the
Memory
of his
Parents &
Family
by
Joseph Heco
December
1870
と書かれています。
ジョセフ・ヒコ(Joseph Heco)の生まれ故郷 播磨町散策記 その5 播磨町郷土資料館