2014年 03月 07日
井原西鶴終焉の地の石碑 in 大阪市中央区谷町3丁目 on 2011-2-24 |
本日は大阪市中央区谷町3丁目2番にある井原西鶴終焉の地の石碑を写真紹介します。
撮影:2011-2-24
最寄り駅は大阪市営地下鉄谷町線谷町4丁目駅で谷町通に面しており石碑は谷町三丁目交差点東南にあります。

上の写真が石碑の遠景です。

上の写真は一番上の右手にあるもので「此界隈井原西鶴終焉之地」と書かれています。
碑は西鶴没後300年を記念し、平成5年(1993)9月25日(旧暦の8月10日)に西鶴文学会の手により建てられたそうです。

上の写真は左手の石碑で井原西鶴の辞世の句「浮世の月 見過ごしにけり 末二年」と書かれています。
Wikipediaより井原西鶴の紹介を引用させていただきます。
井原 西鶴(いはら さいかく、1642年(寛永19年) - 1693年9月9日(元禄6年8月10日))は、江戸時代の大坂の浮世草子・人形浄瑠璃作者、俳諧師。本名は平山藤五、別号は鶴永、二万翁、西鵬。 『好色一代男』をはじめとする浮世草子の作者として知られる。
さらに詳細はこちら。http://en.wikipedia.org/wiki/Ihara_Saikaku
京都大学電子図書館(下記サイト)でも井原西鶴の資料を見れます。
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/np/ihara.html
井原西鶴の墓は明治20年(1887)前後に、誓願寺境内の無縁墓に押し込められていたのが発見された。
誓願寺は地下鉄谷町線谷町9丁目下車で住所は大阪市中央区上本町西4丁目1番です。
TELは06-6761-6318
撮影:2011-2-24
最寄り駅は大阪市営地下鉄谷町線谷町4丁目駅で谷町通に面しており石碑は谷町三丁目交差点東南にあります。


碑は西鶴没後300年を記念し、平成5年(1993)9月25日(旧暦の8月10日)に西鶴文学会の手により建てられたそうです。

Wikipediaより井原西鶴の紹介を引用させていただきます。
井原 西鶴(いはら さいかく、1642年(寛永19年) - 1693年9月9日(元禄6年8月10日))は、江戸時代の大坂の浮世草子・人形浄瑠璃作者、俳諧師。本名は平山藤五、別号は鶴永、二万翁、西鵬。 『好色一代男』をはじめとする浮世草子の作者として知られる。
さらに詳細はこちら。http://en.wikipedia.org/wiki/Ihara_Saikaku
京都大学電子図書館(下記サイト)でも井原西鶴の資料を見れます。
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/np/ihara.html
井原西鶴の墓は明治20年(1887)前後に、誓願寺境内の無縁墓に押し込められていたのが発見された。
誓願寺は地下鉄谷町線谷町9丁目下車で住所は大阪市中央区上本町西4丁目1番です。
TELは06-6761-6318
by seiyo39
| 2014-03-07 04:00
| 大阪情報
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