高槻市 上宮天満宮 訪問記 on 2013-3-8 |
1年前の今日(2013-3-8)、大阪府高槻市にある今城塚及び今城塚古代歴史館をメインの訪問先として高槻を訪問しています。その時に訪問した上宮(じょうぐう)天満宮の写真を紹介します。
上宮天満宮の基本情報
住所:高槻市天神町1-15-5 TEL:072-682-0025
公式HP:http://www.tcn.zaq.ne.jp/jogu/
御祭神:主祭神は菅原道真命 (すがわらのみちざねのみこと)
配祀神武日照命 (たけひなてるのみこと)
- 土師氏(菅原氏等の前身)の祖神である天穂日命の子
野見宿禰命 (のみのすくねのみこと) - 土師氏祖
創建:正暦4年(993年)5月 By 菅原為理
大宰府天満宮に次いで日本で2番目に古い天満宮
Wikipediaより上宮(じょうぐう)天満宮の解説を紹介します。
上宮天満宮(じょうぐうてんまんぐう)は、大阪府高槻市にある神社。式内社で、旧社格は郷社
縁起によれば、道真の霊を鎮めるため、正暦4年(993)に九州・大宰府に赴いた天皇の使い(勅使)が、帰途この地で急に牛車が動かなくなる異変にあい、調べたところ菅原氏の祖先とされる野見宿弥(のみのすくね)ゆかりの地であることを知って、ここに道真をまつったのだといいます。江戸時代には高槻城主永井直清が拝殿や石鳥居を建てたと伝えられます。本殿は火災により焼失し、近年、建て替えられました。JR高槻駅から石鳥居へつづく参道はかつて松並木が続き、天神の馬場と呼ばれていました。天正10年(1582)山崎合戦の際、秀吉が本陣をおいたといわれています。 当社は「天神山(日神山<ひるがみやま>)」と呼ばれる丘陵上に鎮座しており、社伝によれば太古に武日照命が当地に降臨して鎮座したという[1]。のち正暦4年(993年)5月、勅使・菅原為理が太宰府に下向して道真の墓に参拝し、贈左大臣正一位の詔を伝え、菅公の御霊代と菅公自筆の自画像を奉じての帰途、この地に達した時に急に牛車が動かなくなった。為理は、「この地の山上には菅公の祖先である野見宿禰の祖廟がある。牛車が動かないのも理由があることだ。山上に自画像を奉安して祀るのが良い」として道真を祀ったのが当社の始まりとする。元々当地には『延喜式神名帳』に記載される「摂津国島上郡 野身神社」(現 摂社・野身神社)があり、土師氏が氏神として祀っていたと考えられている[2]。それが後になって道真を祀る天満宮が創建され、野身神社がそれに吸収されたものと見られている。野身神社は、野見宿禰の墳墓と伝わる小墳丘(宿禰塚古墳)の上にある。『和名抄』には「摂津国島上郡濃味郷」の記載が見え、「のみ」が古い地名であることが示唆される。なお当社内外には、銅鐸も出た弥生時代の遺跡(天神山遺跡)が残るほか、宿禰塚古墳のほか昼神塚古墳、中将塚古墳があり、古くから栄えていた様子がうかがわれる。
さらに進むと上記のような石碑モニュメントが迎えてくれます。創建年代が927年となっていますが、上記の創建993年は古文書などによるもので実際は927年に創建されたことが確認されているようです。
他の境内社は下記のとおりです。
日吉社、金毘羅社、稲荷社、荒神社、春日社、厳島神社、皇大神宮
上の2枚の写真が本殿です。本殿は平成8年(1996年)11月、放火により焼失した。平成14年(2002年)、本殿は日本初の竹製の本殿として再建された。