日本国新聞発祥之地の碑 in 横浜関帝廟通 on 2014-3-14 |
ネットの情報で関帝廟近くということだけを頼りに訪ねたが関帝廟で場所を聞いたらすぐ解ったが、
今後訪問される方のために所在地の地図を添付しておきます。
説明板の文章は下記のとおり。
日本における新聞誕生の地
ここ, 横浜の元居留地141番は, 1864(元治元)年6月28日,
ジョセフ彦が, 「海外新聞」を発刊した居館の跡である。
彦は, リンカーン大統領と握手した唯一の日本人であった。
リンカーンの民主政治が勃興期の米国の新聞の力に負うところ
大なるを体得し, 開国したばかりの祖国のため, 日本最初の新聞を創刊し,
「童子にも読める」新聞精神を提唱した。
読みやすく, 判りやすい新聞を, 創世記の日本の新聞界に植えつけた
新聞の父・彦の功は大きい。
さらに木戸孝允, 伊藤博文, 坂本龍馬など多くの人びとに 民主政治を
伝えた彦は, 民主主義の先駆者として, およそ新聞を読む ほどの人々の
心の奥に残る文化の恩人であった。
1994(平成6)年6月28日
「海外新聞」発刊130年記念日に
ジョセフ彦記念会
ジョセフ・ヒコの像もあったので写真を添付しておきます。(下の写真)
上の写真は1864年6月28日 旧暦換算では元治元年5月25日に発刊された
海外新聞の表紙。
日本語による近代的新聞の最初の創刊はジョセフ・ヒコが岸田吟香、本間清雄らの協力を受けて
英字新聞を日本語訳した「海外新聞」で元治元年5月25日(1864年6月28日)発行
されたのが最も古いとされています。
ただしこの海外新聞発行は26号まで続いたが赤字であったため、数ヵ月後に消滅した。
海外新聞の定期購読者は4名でしかもすべて九州の人であった。
1部が500文 1年間の購読料にして1両はあまりにも高価すぎた。
拡販のため大半は寄贈された。
それでもジョセフ・ヒコ(Joseph Heco)の新聞は一部の知識人の間で筆写され回覧され
読まれたとのこと。慶応元年(1865)7月発行の第5号にはリンカーンの暗殺をいち早く
報じています。ジョセフ彦は1862年3月2日にリンカーン大統領と会見しています。
海外新聞発刊の前に手書きの「新聞誌」も発刊していたので日本最初の新聞発行日は
上記の1864年7月31日より古いと思われます。
平成24年(2012)10月5日(土)~12月1日(日)兵庫県の播磨町郷土資料館で
播磨町 町制施行50周年記念企画展として「新聞の父 ジョセフ・ヒコ展」があった。
その中で文久2年(1862)幕府の藩所調所(ばんしょしらべしょ)から「官板バタヒヤ新聞」
が発刊されたこれが日本で最初の邦字新聞との説明書きがあった。
ジョセフ・ヒコ(ジョセフ彦)は他に濱田彦蔵、アメ彦、などの呼び名がある。
ジョセフ・ヒコはこの日本語の新聞を発刊する前にも新聞人としての素養を
備えており2度目の米国領事館で通訳の仕事をしていた時代の文久2年(1862)
11月24日から「ビジネス・サオキュラー」を月刊で知り合いに送り始めており
さらに輸出入の値段、港の出船入船、上海への荷物運賃、両替表、ニュースなどを
記した「プライス・カレント」を発行していた。
ジョセフ・ヒコは日本での移住地は播磨町で13年、長崎で3年、神戸で12年、
東京・横浜で10年を過ごしています。残りの23年はアメリカで過ごしていることになります。
ジョセフ・ヒコ(Joseph Heco)はギネスブックに残るようなはじめ物語が多数
ありますので紹介します。
1)日本人として禁教後最初にキリスト教の洗礼を受けた。
1854年10月30日 USA ボルチモアの教会
名前は Cathedral of The Assumption B.V.M
B.V.Mはラテン語でBeata Virgo Maria出英語では
Blessed Virgin Maryとなり聖少女マリアと直訳できる。
この教会は1806年に建てられたものであるが現在もある由緒ある
教会である。
2)日本人として初めてUSAの大統領(ブキャナン大統領)と合う
1857年 11月25日
1962年3月12日にはリンカーン大統領とも会っています。
3)日本人として初めてアメリカの市民権を得る
1858年6月30日
4)日本人で初めて6,000mの深さの海底を調査。
1858年9月~11月 測量船の小帆船 クーパー号(ブルック艦長)
5)日本のアメリカ領事館で初めての日本人通訳
1859年 5月29日 事前に駐日公使ハリスと上海で合流
6)日本で初めて新聞 海外新聞を発刊
元治元年(1864)6月28日 新暦換算では1864年7月31日
7)初めての国立銀行条例をつくる。
1872年渋沢栄一の下で英国人のシャンド(Alexander Allan Shand)
と協働でつくった。
8)神戸で初めての電灯にヒコの精米所の蒸気機関が使用される。
1884年12月
9)日本人初めての英文の自伝書 The narrative of a Japaneseを発刊
上巻は1892年 下巻は1895年に刊行
私もこの碑は見に行き、同じように写真を撮りました。あまり目立ちませんよね。
ご丁重なコメントありがとうございました。
以前の職場のOB会が中野であり出かけていました。
ジョセフ・ヒコの足跡を辿ってかってアメリカ領事館があった横浜市神奈川区の本覺寺も訪問しました。ブログ記事はこちら。 http://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/5f3db2401b582098dd09a3daff64d285
また、青山霊園の浄世夫彦之墓(ジョセフ・ヒコと妻の濱田 鋹子(ちょうこ)の墓)にも寄りブログ記事を書いています。http://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/50472f00f62c3bde28fdf6c2e616786b
雑司ヶ谷のジョン万次郎の墓にもいきました。ブログ記事はまだ書けていません。 今後ともよろしくお願いいたします。