2014年4月17日、恒例の三木合戦 絵解きが三木市別所町東這田の法界寺でありました。初めて参加させていただきました。「三木合戦絵図」は三幅で構成された絵図で、天保12年(1841)に讃岐在住の別所氏末裔・別所九兵衛長善が画師・中条竹趣に模写させ、三木合戦時の城主・別所長治の菩提寺である法界寺に奉納されたものです。原図となった三木合戦絵図はは別所方として三木城に籠城した別所氏の家臣の
来住安芸守(きしあきのかみ)の子孫によって寄進され、寛永年間(1624~1644)頃に制作されたものと伝えられており、金箔が貼られた豪華なものとのこと。語り手は生田淳仁氏で代々語り手を務められているそうです。少なくとも200年以上続いている三木市の伝統行事です。
尚、13:30からスタートの午後の部では三木市立自由が丘中学校教諭の西森良企氏が語り部を務められました。
来住(きし)氏の由緒は「播州古城軍記」等によると城主は清和源氏多田満仲の後裔が下向し、代々来住姓を名乗ったとあるが、「赤松家播備作城記」では正和二年(1313)、来住安芸守惟友が築城したとあり、実際のところ不明である。
はっきりしているのは天正年間に別所氏に属した景政やその嫡子源三郎景利である。両人とも三木城に籠城し、天正八年(1580)三木城落城とともに戦死。以後城は廃城となる。
来住(きし)城跡は小野市に残っているようです。
所在地: 小野市来住町小字沖ノ西416~424番地
来住(きし)氏に関するサイト
http://www.siromegu.com/castle/hyogo/kisi/kisi.htm
http://kirinosato.fc2web.com/HARIMA-onosikishi-siro.htm
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