法界寺 三木合戦 絵解き on 2014-4-17 |
尚、13:30からスタートの午後の部では三木市立自由が丘中学校教諭の西森良企氏が語り部を務められました。
来住(きし)氏の由緒は「播州古城軍記」等によると城主は清和源氏多田満仲の後裔が下向し、代々来住姓を名乗ったとあるが、「赤松家播備作城記」では正和二年(1313)、来住安芸守惟友が築城したとあり、実際のところ不明である。
はっきりしているのは天正年間に別所氏に属した景政やその嫡子源三郎景利である。両人とも三木城に籠城し、天正八年(1580)三木城落城とともに戦死。以後城は廃城となる。
来住(きし)城跡は小野市に残っているようです。
所在地: 小野市来住町小字沖ノ西416~424番地
来住(きし)氏に関するサイト
http://www.siromegu.com/castle/hyogo/kisi/kisi.htm
http://kirinosato.fc2web.com/HARIMA-onosikishi-siro.htm