花燃ゆの主人公 杉文が生きた時代 |
昨日(2015-4-5)はNHK大河ドラマ「花燃ゆ」第14回の放送「さらば青春」で
安政の大獄が始まる安政5年(1858)9月7日の象徴的な出来事である
小浜元藩士梅田雲浜逮捕されるが印象的な場面であった。
本ブログでは杉文の半生(42歳まで)の年譜を同時代を生きたジョセフ・ヒコ
の年譜と共に纏めてみました。
尚、上記14回放送に時代、安政5年(1858)時点で文は16歳である。
赤字が杉文関連の出来事
緑字はジョセフ・ヒコ関連の出来事
天保8年(1837)8月21日 ジョセフ・ヒコ、播磨町古宮に生まれる。
幼名は彦太郎
安政6年(1843)杉文 1歳 3月 杉家の四女として誕生
4月 長州藩藩士・村田清風、藩政改革を開始
嘉永3年12月21日(1851年1月22日) 杉文 8歳
ジョセフ・ヒコ14歳が乗る永力丸の乗組員が米商船オークランド号に救助
嘉永4年(1851) 杉文 9歳
2月3日 ジョセフ・ヒコ15歳 サンフランシスコに着く
嘉永6年(1853) 杉文 11歳
姉の寿(ひさ)が小田村伊之助(楫取素彦)と結婚
4月19日 ペリー率いるアメリカ東インド艦隊が琉球に到着する
6月 3日 東インド艦隊、浦賀沖に到着する
浦賀奉行与力中島三郎助と通詞堀達之助が交渉に当たるが、
長崎回航は受け入れられず。夜の時砲で、沿岸が騒然とする
6月12日 東インド艦隊、那覇へ向けて江戸湾を離れる
6月15日 幕府、ペリー来航を朝廷に上奏
6月22日 12代将軍徳川家慶死去。61歳
8月 5日 ジョセフ・ヒコ16歳、サンダースに伴われてニューヨーク着
8月13日 ジョセフ・ヒコ、米大統領ピヤース氏と会見
9月15日 幕府、大船建造禁令を解除
9月23日 徳川家祥(家定)、本丸に入る
11月 7日 幕府、アメリカより戻っていた中浜万次郎を登用し普請役格とする
12月 5日 ロシア艦隊4隻、ペリーとの協力がうまく行かず、長崎に再来
12月 韮山代官江川太郎左衛門、韮山に反射炉を建造
嘉永7年・安政元年(1854) 杉文 12歳
10月 兄・吉田松陰野山獄へ投獄される
1月16日 前年の予告通り、ペリー率いる7隻の艦隊が来航
江戸湾羽田沖まで来た後、小柴沖に停泊
1月17日 ジョセフ・ヒコ17歳、ボルチモアのミッション=スクールに入学
3月 3日 幕府、日米和親条約調印(神奈川条約)
3月27日 吉田松陰、米艦に乗船を求めるが断られる
3月28日 吉田松陰が下田沖の軍艦に密航を企てて失敗し自首する
4月30日 徳川斉昭、日米和親条約締結を不満として、幕政参与を辞任
8月23日 幕府、日英和親条約を調印。長崎・箱館の2港が開港される
10月30日 ジョセフ・ヒコ、カトリックの洗礼を受け、ジョセフの名を用い始める
安政2年(1855)杉文 13歳
12月15日 長州藩、吉田松陰を出獄させ、蟄居とする (吉田松陰26歳)
1月11日 金子重之輔、萩野山獄で獄死
8月13日 徳川斉昭が幕政参与に再任
安政3年(1856) 杉文 14歳
久坂玄瑞が松下村塾に入塾
6月18日 吉田松陰「講孟余話」を著す
7月21日 アメリカ総領事ハリス下田に到着
8月22日 吉田松陰、禁固中に武教全書の講義を開始する
9月25日 (陽暦10月23日)第二次アヘン戦争勃発
9月 長州藩、吉田松陰に私塾主催を許可。身分に関係なく約80人が塾生となる
安政4年(1857) 杉文 15歳
12月5日 久坂玄瑞と結婚
10月? 伊藤利助(博文)が松下村塾に入塾
2月18日 ハリス、米国人の居住権や治外法権などを要求する7ヶ条を下田奉行に提出
3月 吉田松陰「外蕃通略」出版
4月 鹿児島城内に精錬所「開物館」が完成
5月26日 治外法権などを定めた9ヶ条の日米和親条約修補条約(下田協約)が締結
7月23日 徳川斉昭、再度幕政参与を辞任
7月26日 諸大名が、老中堀田正睦にハリス登城反対を申し立てる
8月14日 幕府、ハリス江戸登城を許可
10月21日 ハリス、将軍家定に謁見し、米国大統領の親書を提出
11月 1日 幕府、米国大統領親書とハリスの口上書について、諸大名に意見を求める。
11月14日 英仏連合軍、広州を占領
11月25日 ジョセフ・ヒコ20歳、米大統領プキャナンと会見
12月11日 日米通商条約締結交渉が始まる
12月13日 幕府、朝廷に対し日米通商条約に調印することを報告
1858年 安政5年(1858) 杉文 16歳
12月5日 吉田松陰再び野山獄へ入牢
2月23日 朝廷、老中堀田正睦に対し日米修好通商条約勅許は諸大名の
意見を聞いてから願出せよと指示
4月23日 将軍徳川家定、井伊直弼を大老に任命
5月 1日 井伊直弼、将軍継嗣を徳川慶福にする旨老中一同に申し渡す
6月19日 幕府、日米修好通商条約と貿易章程に調印
6月25日 幕府、諸大名に総登城令が出され、将軍継嗣は徳川慶福と発表される
6月30日 ジョセフ・ヒコ20歳、帰化し米国市民権を得る
7月 4日 徳川家定死去
7月 8日 幕府、外国奉行を設置
7月10日 幕府、日蘭修好通商条約と貿易章程に調印
7月11日 幕府、日露修好通商条約と貿易章程に調印
7月16日 薩摩藩主島津斉彬急死
7月18日 幕府、日英修好通商条約と貿易章程に調印
9月 7日 小浜元藩士梅田雲浜逮捕される(安政の大獄始まる)
安政6年(1859) 杉文 17歳
4月 吉田松陰、江戸へ護送される
12月 吉田松陰、江戸で斬首に処せられる
5月26日 英国駐日総領事オールコックが着任
5月28日 幕府、アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・オランダの
5ヶ国に、神奈川・長崎・箱館の3港での自由貿易を許可
5月29日 ジョセフ・ヒコ21歳 上海のハリスを訪ね、
神奈川領事館通訳に決まる
6月18日 ジョセフ・ヒコ 長崎着神奈川入港
7月 生糸貿易の開始で、生糸不足と糸価格急騰したため、
桐生地方の35か村の代表が、幕府に生糸輸出の禁止を願い出る
安政7年・万延元年(1860) 杉文 18歳
1月13日 遣米使節護衛艦咸臨丸、木村喜毅、勝義邦(海舟)らを乗せて出発
1月18日 遣米使節、米軍艦ポーハタン号で出発
2月 ジョセフ・ヒコ22歳、米領事館を辞任
2月26日 咸臨丸、サンフランシスコに到着
3月 ジョセフ・ヒコ 横浜で貿易商館を開く
3月 3日 桜田門外の変勃発。大老井伊直弼暗殺される
4月 3日 日米修好通商条約の批准書を交換
11月 1日 幕府、和宮内親王降嫁を発表
12月 5日 米国公使館通訳のヒュースケン、中ノ橋付近で襲撃される。
万延2年・文久元年(1861) 杉文 19歳
1月21日 幕府が安全を保障する条件を呑んだ為、各国外交官が江戸に戻る
3月23日 徳川家茂、江戸・大坂の開市と兵庫・新潟の開港の
7ヶ年延期を求める親書をオランダ・ロシア・フランスに送る
3月28日 長州藩士長井雅楽、藩主に公武合体・海外進出の「航海遠略策」を建言
5月15日 A・W・ハンサード、日本初の英字新聞
「The Nagasaki Shipping List and Advertiser」を創刊
5月28日 品川東禅寺に置かれたイギリス公使館を浪士ら14人が襲撃。
オリファントとモリソンが重傷。襲撃犯は3人が自殺
9月17日 ジョセフ・ヒコ24歳 三度目の渡米の途に着く
11月15日 和宮一行が江戸に到着する
12月11日 和宮、江戸城本丸に入る
12月22日 幕府の遣欧使節が出発する
文久2年(1862) 杉文 20歳
1月15日 坂下門外で老中安藤信正が6人の武士に襲撃され重傷を負う。
襲撃者は全員死亡
1月15日 久坂玄瑞と坂本龍馬会合する
2月11日 徳川家茂と和宮内親王の婚儀が挙行される
3月 2日 ジョセフ・ヒコ24歳、リンカーンと会見
4月16日 島津久光、藩兵1000人を率いて上洛し、幕政改革9ヶ条を提出
4月23日 伏見寺田屋で激発薩摩藩士と慰撫しに来た藩士が衝突、10人が死亡
5月 9日 遣欧使節、対イギリスの開港・開市の延期を定めたロンドン覚書に調印
6月11日 幕府、西周助・津田真一郎・榎本釜次郎・赤松大三郎・
林研海・伊東玄朴らにオランダ留学を決定
7月 6日 幕府、一橋慶喜を将軍後見職に任命
7月 6日 長州藩、藩是を公武合体から尊皇攘夷へ変更
8月21日 生麦村で、島津久光の行列を横切った英国人4人が藩士に斬りつけられ1人が死亡、2人が重傷を負う。
8月 アーネスト・サトウ来日
閏8月 1日 幕府、松平容保を京都守護職に任命
9月 2日 フランス人カミュ殺害される
9月11日 西周助・津田真一郎・榎本釜次郎・赤松大三郎・林研海・伊東玄朴らオランダ留学生長崎を出発
9月18日 薩摩・長州・土佐の3藩、朝廷に幕府へ勅旨を派遣し攘夷を決行させるよう建言する
10月13日 ジョセフ・ヒコ25歳、横浜に帰り、再び米国領事館通訳の仕事を始める
12月 9日 赤穂藩急進派15人、家老森主税ら3人を暗殺
12月12日 品川御殿山に建設中のイギリス公使館が高杉晋作、
久坂玄瑞らによって焼き討ちされる
文久3年(1863) 杉文 21歳
1月 5日 一橋慶喜入京
2月23日 幕府浪士組234人が上洛。清河八郎は、攘夷のための組織化であることを表明
3月 4日 将軍徳川家茂、3000人を率いて入京。二条城に入る
3月 8日? 勝海舟、何者かに襲撃されるも、岡田以蔵に救われる。
4月20日 徳川家茂、攘夷期限を5月10日とする旨奉答する
5月10日 長州藩、攘夷期限が来たとして、軍艦2隻で田ノ浦に
停泊中のアメリカ商船ペムブロークを砲撃する
5月12日 長州藩士井上聞多・野村彌吉・伊藤俊輔・山尾庸三・
遠藤謹助の5人が、留学のため横浜を出発する
6月 1日 長州藩、アメリカ軍艦ワイオミングと交戦し敗北する
6月 5日 フランス東洋艦隊、長州藩砲台を攻撃し、陸戦隊を上陸させ前田・壇ノ浦両砲台を占領
6月 7日 高杉晋作、藩に奇兵隊編成を建白する
6月24日 長州藩兵、小倉藩田ノ浦を占領し、砲台を築いて、外国船攻撃を準備する。
7月23日 長州藩兵、下関港に来航した幕艦「朝陽丸」を砲撃
7月26日 奇兵隊、朝陽丸を占拠
8月19日 長州派公卿7人、朝廷を離れ長州へ落ち延びる(八月十八日の政変)
9月23日 井上聞多・伊藤俊輔ら、ロンドンに到着
9月30日 ジョセフ・ヒコ26歳、米領事館を辞任
秋 ジョセフ・ヒコ、『漂流記』上梓
12月30日 朝廷、一橋慶喜・松平容保・松平慶永・山内豊信・伊達宗城を朝議参与に命じる。
文久4年・元治元年(1864) 杉文 22歳
7月21日 夫の久坂玄瑞が自刃
1月13日 朝廷、島津久光を朝議参与に加える
1月15日 将軍徳川家茂、再度上洛
2月11日 幕府、毛利敬親を糾問し、長州藩討伐の準備を始める
3月22日 フランス公使ロシュが就任
6月 5日 新撰組、古高俊太郎を逮捕し、続いて池田屋で会合中の攘夷派志士を襲撃
吉田稔麿、宮部鼎蔵ら死亡。桂小五郎は難を逃れる
6月14日 新島襄、脱藩して函館から密かにアメリカへ出発する
6月18日 井上聞多と伊藤俊輔、長州藩の危機により、藩を説得するため急遽帰国
6月25日 井上・伊藤の和平提案、長州藩重臣会議で否決される
6月28日 長州藩、外国船との戦闘を布告
6月 浜田彦蔵、岸田銀次郎ら「新聞誌、海外新聞」を創刊
7月11日 佐久間象山、河上彦斎らに暗殺される
7月18日 京都近郊に集結した長州藩軍勢4隊の内、福原越後隊・真木和泉隊が
郊外から市内に向けて進軍を開始する。福原越後隊は丹波橋付近で敗北
7月18日 英米仏蘭4ヶ国連合艦隊、出撃を通告。
7月19日 長州軍勢の、国司信濃隊・真木和泉隊が御所付近で薩摩・会津・
桑名3軍と交戦。幹部が多数戦死し、後詰めの益田隊も含めて敗走。
戦火で京都市内811町に渡る民家27511戸、土蔵1207棟、寺社253などが焼失。
7月21日 天皇、蛤御門の変に関し、長州追討の勅命を発する。
天王山に残った真木和泉ら長州側17人自決
8月 2日 幕府、長州藩征討令を35藩に命じる
8月 4日 英米仏蘭4ヶ国艦隊17隻、兵力5000が、下関を出撃。同日下関で火災、10日までに約5000軒が焼失する
8月 5日 4ヶ国艦隊17隻、砲撃を開始
8月 6日 4ヶ国の陸戦隊2000余人が上陸。砲台を占拠し破壊する
8月 8日 長州藩、高杉晋作を降伏使として4ヶ国艦隊に和議を申し入れる
8月14日 長州藩、4ヶ国艦隊と講和5ヶ条で和睦
11月10日 勝海舟、神戸海軍操練所を免職となる
11月11日 長州藩、3家老に自刃を命令
12月 5日 長州藩、幕府に謝罪書を提出
元治2年 慶応元年(1865) 杉文 23歳
文が毛利興丸(元昭)の守役となる 名前を美和と改める
1月 2日 高杉晋作、馬関で挙兵する。
1月 7日 高杉に呼応した太田市之進らの率いる御楯隊が小郡を占領し、山口へ進軍
1月29日 内戦状態の長州藩で中立派が台頭し、俗論党を更迭
2月28日 毛利敬親、藩是を一変させる
3月15日 長州藩諸隊再編成され、軍制改革が行われる
3月17日 毛利敬親、倒幕論を決定する
3月18日 神戸海軍操練所正式廃止
3月22日 薩摩藩士19人がイギリス留学のため、長崎を出発
3月29日 徳川家茂、長州藩再征討の将軍進発を布告する
3月 浜田彦造・岸田銀次郎・本間潜蔵ら、「新聞誌」を「海外新聞」として再創刊
4月25日 幕府、軍制調査のため、柴田剛中らをフランスに派遣。
5月22日 徳川家茂、参内して長州再征を奏上
5月24日 坂本龍馬、大宰府の三条実美を訪問し薩長同盟案を示す
5月 桂小五郎、潜伏先から帰国。
閏5月 6日 坂本龍馬・土方久元と桂小五郎、下関で会合し、薩長同盟について話す
閏5月10日 イギリス公使パークス、赴任する途中、下関で井上聞多・桂小五郎らと会見
閏5月16日 西郷隆盛、下関に寄らず薩長同盟締結失敗
閏5月 坂本龍馬ら長崎に亀山社中を興す
6月24日 坂本龍馬・中岡慎太郎、西郷隆盛と会合し再度薩長同盟について話し合う
6月27日 毛利敬親、領内士民に徹底抗戦令を発する
7月21日 井上聞多・伊藤俊輔、銃器買い付けのため長崎に入る
7月27日 幕府のロシア留学生6人が箱館を出発する
7月27日 長州藩、幕府の藩主召還令及び支藩主召還令を拒否
8月 井上聞多・伊藤俊輔、亀山社中の協力でグラバーから銃器を購入
10月 5日 長崎・横浜・箱館の開港勅許が降りる。また幕府に対し条約改正の勅命が出される
10月 6日 幕府、3港開港勅許と条約改正の勅命について、4ヶ国に通知する
10月 西郷隆盛、兵を率いて上洛
11月 7日 幕府、32藩に長州藩征討出兵令を出す
慶応2年(1866) 杉文 24歳
1月21日 京で薩長極秘同盟締結。
1月24日 坂本龍馬と三吉慎蔵、寺田屋で伏見奉行所の捕方に襲撃され負傷
6月 7日 一橋慶喜、長州征討の勅許を奏請し、勅諚が降下。同日、幕府軍艦、周防大島を砲撃し続いて占領する
6月 8日 幕府、長州藩に宣戦布告
6月12日 高杉晋作、夜半丙寅丸で周防大島の幕府艦隊に奇襲攻撃を行う
6月13日 幕府軍、芸州口から長州藩領内に進撃
6月15日 周防大島の幕府軍、逆撃を受けて退却する
7月18日 長州軍、浜田藩浜田城を攻め落とす
7月20日 徳川家茂、大坂城内で死去
7月30日 一橋慶喜、徳川宗家相続に奉られる
8月 1日 長州軍の攻勢で小倉城陥落。城主老中小笠原長行逃亡。
小倉藩兵、八百屋町の獄につながれていた英彦山勤王僧6人を処刑する。
9月 留学生の榎本、赤松ら新造軍艦「開陽丸」で帰国
12月 5日 徳川慶喜、征夷大将軍となる
12月25日 孝明天皇崩御
ジョセフ・ヒコ29歳、横浜を去り長崎に向う
慶応3年(1867) 杉文 25歳
小田村伊之助、藩命で楫取素彦と改名
3月 7日 遣欧特使、パリに到着
4月14日 高杉晋作死去
6月 ジョセフ・ヒコ29歳のもとに木戸孝充・伊藤博文が訪ねてくる
6月 6日 幕府、兵庫開港と江戸・大坂開市を12月7日と布告
6月15日 坂本龍馬、京に到着し、長岡謙吉に船中八策を起草させる
6月22日 京で薩土盟約成立
7月26日 西郷隆盛、アーネスト・サトウと会見
8月 ええじゃないか踊りが流行し始める
9月18日 長州と薩摩の両藩、倒幕挙兵の順序について約す。
同日、芸州船震天丸、田辺藩士、海援隊士らと兵器を満載して長崎を出港
9月 ジャパン・タイムズ創刊
10月 3日 土佐藩、藩主山内豊信の名で大政奉還を徳川慶喜に建白
10月 6日 大久保利通・品川弥二郎・岩倉具視・中御門経之ら王政復古
の方略を謀議
10月 9日 岩倉具視、王政復古の意見書を密奏。
10月13日 徳川慶喜、在京40藩の重役を召して大政奉還を諮問する
10月14日 徳川慶喜大政奉還を上奏。朝廷これを勅許する
10月14日 長州藩に倒幕の密勅が下るが、大政奉還に先を越される
10月17日 西郷隆盛鹿児島へ向かう。戸田雅楽、坂本龍馬らの起草した
新官制擬定書を西郷に渡し、鹿児島まで同行。
10月17日 江戸に大政奉還が伝わる
10月21日 朝廷、薩長に倒幕の猶予を命じる
10月22日 朝廷、徳川慶喜に庶政を当分委任する
10月24日 徳川慶喜、将軍の辞表を提出する
11月 西周、徳川慶喜のために議題(憲法)草案を起草
12月 2日 西郷隆盛と大久保利通、後藤象二郎に王政復古を12月8日とする旨伝える
12月 7日 西郷と大久保、王政復古を12月9日に変更
12月 9日 王政復古の大号令。幕府廃絶、総裁・議定・参与の設置が決定する。夜、小御所会議で、徳川慶喜の辞官納地が決定
慶応4年・明治元年 (1868) 杉文 26歳
1月 3日 幕府諸藩連合軍、伏見に到着し、伏見奉行所を本営とする。城南宮を拠点とした薩長軍と対峙
夕刻幕府軍別働隊と薩長軍が鳥羽で衝突。戊辰戦争が始まる。
1月 4日 嘉彰親王が薩長軍本営に入り、事実上の官軍となる。鳥羽・伏見激戦
1月 7日 徳川慶喜、江戸へ向けて密かに出港。新政府、徳川慶喜追討令を出す
1月 9日 明治天皇即位
1月 9日 官軍、大坂城を占領
1月10日 新政府、徳川慶喜以下の官位を奪い、幕府領を直轄領と決定する
1月11日 神戸で岡山藩兵とフランス水兵が衝突(神戸事件)
1月15日 新政府外国事務取調掛の東久世通禧が、兵庫で各国公使と会見し、王政復古の国書を手渡す
2月 6日 新政府、西国22藩に従軍令を発す
2月12日 徳川慶喜、江戸城を出て上野寛永寺へ移り謹慎。恭順派は和戦両面の計画を進める
2月15日 堺で乱暴を働いたフランス水兵を土佐藩士が銃撃(堺事件)
2月23日 旧幕臣からなる彰義隊が上野山を占拠する
3月13日 高輪薩摩藩邸で西郷隆盛と勝海舟が江戸開城交渉を行う
3月14日 西郷隆盛、江戸総攻撃を中止
3月14日 天皇、五箇条の誓文を宣言
3月20日 朝廷、慶喜謹慎、江戸城明け渡しを受ける
3月21日 天皇、大阪へ行幸
3月28日 新政府、神仏分離令を決定。以後、全国で仏教施設・仏具の破壊運動が起こる
4月11日 新政府軍に江戸城を引き渡して、徳川慶喜は水戸へ移る
閏4月 8日 天皇、京へ還幸
閏4月27日 新政府、3職7科8局制を改め、太政官制度三権分立を定める
5月24日 徳川家達、駿河府中70万石に封じられる
8月 7日 ジョセフ・ヒコ30歳 故郷播磨町古宮に帰る
8月26日 新政府、天皇の誕生日を天長節と定める
8月27日 明治天皇即位の礼が行われる
9月 8日 明治と改元され、以降一世一元の制となる。
9月20日 天皇、東京行幸へ出発
9月27日 新政府、スウェーデン=ノルウェー王国と修好通商航海条約に調印
10月25日 榎本武揚ら、松前・弘前藩兵を破って五稜郭に入る
12月28日 各国政府、日本内戦終結と判断し、局外中立を終える。
明治2年(1869) 杉文 27歳
1月20日 薩長土肥の連署で4藩の版籍奉還の上奏を行う
2月 5日 新政府、小学校の設置を奨励
2月24日 天皇が東京に滞在する際は、太政官も東京に移すことになり事実上東京を首都とすることになる
3月 7日 天皇、再度東京へ行幸に向かう
5月 1日 島津忠鑑、西郷隆盛ら、蝦夷へ向けて鹿児島を出発
5月11日 新政府軍、陸海両方から五稜郭総攻撃を開始。箱館陥落し土方歳三らも戦死
5月17日 榎本武揚ら、新政府軍に降伏する
5月18日 黒田清隆、榎本武揚を説得し、五稜郭開城。戊辰戦争終結
6月17日 朝廷、諸藩の版籍奉還を勅許、公卿・諸侯を廃止して華族とする
6月25日 藩知事274人が定まる
6月 ジョセフ・ヒコ31歳、香港造幣局の施設を買収し、大阪造幣局を創設に尽力
7月 8日 政府、官制を改革し、2官6省とする。同日、昌平校・開成工・医学校をして大学校を設置。また職員令を公布する
8月 1日 イギリス公使パークス、樺太がロシアに狙われていることを外務大輔寺島宗則に指摘
8月15日 蝦夷地を北海道とし、11国を設置
9月14日 オーストリア=ハンガリー帝国と修好通商航海条約に調印
12月 3日 木戸孝允は毛利敬親を、大久保利通は島津久光と西郷隆盛を上京させるために帰藩
12月25日 東京と横浜の間に電信が開通し、事業が始まる
この年、和泉要助が人力車を考案
ジョセフ・ヒコ32歳、神戸に永代借地権を得る
明治3年(1870) 杉文 28歳
楫取素彦山口藩権大惨事に就任
1月26日 奇兵隊の解散に反対する脱退兵1800人が山口藩庁を包囲
1月27日 日の丸の寸法が定められ、商船に掲げる国旗と決められる
3月19日 政府、鉄道掛を設置
3月22日 和泉要助、前年考案した人力車で営業を開始
5月28日 集議院が開かれる
6月 8日 東京府、小学校6つを設置
8月 9日 販売鴉片烟律・生鴉片取扱規則を制定し、アヘンを取り締まる
9月19日 政府、平民の苗字使用を許可
10月 2日 陸軍はフランス式、海軍はイギリス式と決定
10月 ジョセフ・ヒコ33歳、両親の墓碑をたてるために帰郷
12月 8日 子安峻ら横浜毎日新聞を創刊
明治4年(1871) 杉文 29歳
2月13日 政府、薩長土3藩兵を元に親兵編成を決定
2月15日 造幣寮開業
3月 1日 郵便制度施行
3月28日 毛利敬親が死去
4月 4日 戸籍法制定
4月 7日 発明者に一定期間専売権を与える専売略規則制定
5月 木戸孝允、「新聞雑誌」を創刊
6月18日 長崎-上海間の海底電線が開通
7月14日 天皇、56藩知事を召して廃藩置県の詔書を出す。
これにより261藩は1使3府302県となる
7月29日 太政官制を改正し、正院・左院・右院が設置される
8月 9日 散髪・廃刀の自由が認められる
8月23日 階級間の結婚が自由化される
9月 7日 田畑勝手作(栽培の自由化)が許可される
10月28日 府県官制を制定。府知事・県知事が定められる。
11月 2日 県知事を県令と改める
ジョセフ・ヒコ34歳、播磨町蓮花寺に両親の墓碑建立除幕、
「横文字の墓」
11月12日 岩倉具視を特命全権大使とする欧米視察団が横浜を出発し、
同行する形で初の女子留学生5人や田中不二麿、中江兆民も留学に出発
11月13日 府県改廃により1使3府72県とする。
明治5年(1872) 杉文 30歳
1月29日 全国戸籍調査実施。総人口は33110825人
1月29日 卒を士族と平民に分け、新身分制度が確立する
2月 1日 戸籍法実施。
3月10日 第1回京都博覧会開催
4月 5日 女子の断髪が禁止される
4月25日 僧侶の妻帯・肉食・伸髪・平服が許可される
7月 4日 政府、すべての土地に地券を交付
8月 3日 学制公布
8月 ジョセフ・ヒコ35歳、大蔵出仕となり「国立銀行条例」の編さんに従う
9月12日 新橋-横浜間の鉄道開業式が行われる、営業は9月13日。
9月29日 横浜にガス灯がともる
10月 4日 官営富岡製糸場が開業
11月15日 神武天皇即位を紀元とし、1月29日を祝日とする
12月 3日 この日を太陽暦明治6年1月1日とする
この年、北海道開拓使は、開拓10カ年計画を決定。
明治6年(1873) 杉文 31歳
1月10日 国民皆兵の徴兵令が発布
2月 7日 仇討ちを禁止する
2月 9日 井上馨、造幣寮(現在の造幣局)の全職員の丁髷を切り洋服を着させる通達を出す
3月 3日 皇后、率先してお歯黒・眉墨をやめる
3月14日 外国人との結婚解禁
3月20日 天皇、率先して断髪を行う
5月 7日 井上馨・渋沢栄一が財政改革を建議
5月 8日 陸海軍武官官等改正により、元帥を廃止する
5月10日 元帥称号の廃止により西郷隆盛を陸軍大将とする
7月28日 地租改正条例が発布される
10月23日 岩倉具視、天皇に征韓不可を上奏。西郷隆盛、辞表を提出し帰国の途につく
10月24日 天皇、西郷隆盛の派遣中止を勅許
10月25日 西郷派の参議板垣退助・江藤新平・後藤象二郎・副島種臣が辞表を提出
10月 銀座煉瓦街の一部が完成する
11月10日 内務省が設置される。初代内務卿は大久保利通
12月26日 京都-大阪間の鉄道建設が始まる。
明治7年(1874) 杉文 32歳
1月12日 板垣退助ら愛国公党を結成
1月17日 板垣退助・後藤象二郎・江藤新平・副島種臣・由利公正・
小室信夫・古沢滋ら左院に民選議院設立建白書を提出
2月 6日 大久保利通と大隈重信、琉球民殺害事件に関して台湾征討を
提案し、閣議で決定
3月 1日 政府軍佐賀城を奪回し、佐賀の乱鎮圧される
4月10日 板垣退助、立志社を興す
4月13日 岸田吟香、台湾征討軍に従軍記者として参加
4月18日 木戸孝允、台湾出兵に反対して辞表を提出
4月19日 政府、台湾征討中止を決定するが、西郷従道はこれに反対
5月 4日 大久保利通・大隈重信、西郷従道と長崎で会見し、台湾出兵を決定
5月17日 台湾出兵軍、長崎を出航
7月28日 政府、台湾征討で三菱に輸送業務を委託
7月 銀座煉瓦街が完成
8月 1日 台湾問題交渉で、大久保利通を全権大使として清に派遣することを決定。
11月 2日 読売新聞創刊
11月16日 大久保利通、台湾で西郷従道と会見し撤兵を話し合う
ジョセフ・ヒコ37歳、大蔵省を退き横浜の岡本伝右衛門に請われて商業教習に従う
明治8年(1875) 杉文 33歳
2月20日 旧幕府諸雑税が廃止され、車税・タバコ税・酒税が定められる
2月22日 板垣退助、全国政党の愛国公党を結成
4月30日 神仏合同布教廃止
4月 平仮名絵入新聞創刊
5月 1日 ジョセフ・ヒコ37歳、北風正造と合同で神戸で製茶の輸出貿易を始める
6月28日 新聞紙条例・讒謗律公布
9月 7日 家禄・章典禄が金禄に改正
9月20日 軍艦雲揚、江華島付近で測量を行い、朝鮮砲台と交戦する
11月 5日 イギリス公使、小笠原諸島の日本領を認める
12月13日 日本陸戦隊と朝鮮軍が釜山で衝突
12月19日 政府、海面の領有を宣言し、海面借区制を定める
明治9年(1876) 杉文 34歳
楫取素彦 足柄県惨事に就任
2月26日 日朝修好条規に調印 条約改正の努力
3月12日 官庁の日曜定休と土曜半休が定められる
4月 1日 満20歳を丁年(成年)と定める
4月19日 フィラデルフィア万国博覧会に出展
5月29日 朝鮮修信使ら75人が来日
6月28日 成島柳北ら新聞記者、新聞紙条例1周年にあわせ、「新聞供養大施餓鬼」を開催
7月 5日 国家安寧妨害の新聞雑誌の発行停止を布告
8月21日 3府35県に統合する
8月24日 日朝修好条規付録及び通商章程に調印
10月28日 元参議前原一誠率いる約200人が萩で挙兵。まもなく鎮圧される(萩の乱)
ジョセフ・ヒコ39歳、北風氏との茶商解散、単独の事業となる
明治10年(1877) 杉文 35歳
1月 4日 地租改正詔書が発布され、税率を3%から2.5%に減免する
2月14日 西郷軍前衛隊が鹿児島を出発(西南戦争の開始 9月まで続く)
2月19日 政府、有栖川宮熾仁親王を征討総督として九州へ派兵する
5月26日 木戸孝允死去
8月21日 第1回内国勧業博覧会開催
8月 コレラが長崎と横浜で発生する
12月27日 西南戦争費用を補うため、予備紙幣2700万円を発行する
12月28日 東京株式取引所設立の許可が出される
ジョセフ・ヒコ40歳、松本鋹子(当時18歳)と結婚
明治11年(1878) 杉文 36歳
3月11日 大久保利通、「地方之体制等改正之議」を太政大臣に申し入れる
4月 2日 清帝国、通商特約締結を拒否
5月15日 伊藤博文、工部卿を免ぜられ、内務卿に任命される
7月22日 郡区町村編成法、府県会規則、地方税規則を制定
7月 金禄公債発行を開始
明治12年(1879) 杉文 37歳
1月25日 大阪朝日新聞創刊される
7月16日 日本最初の考古学研究書完成(モールスの「大森貝塚研究報告」)
8月31日 皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)御降誕
府県会開始
明治13年(1880) 杉文 38歳
美和の兄 杉梅太郎(民治)が松下村塾を復活させる
2月 6日 横浜正金銀行の設立(開業は2月28日)
8月18日 日清両代表、琉球事件を商議する
10月25日 「君が代」が完成
明治14年(1881) 杉文 39歳
姉の寿が死去
1月 ジョセフ・ヒコ43歳、神戸で精米所も始める
3月12日 ロシア皇帝アレクサンドル二世暗殺される
10月12日 明治天皇、来る明治23年を期して、国会を開設する旨の詔書を下し給う
10月18日 自由党結成 初の政党
明治15年(1882) 杉文 40歳
明治16年(1883) 杉文 41歳
美和、楫取素彦と再婚
明治17年(1884) 杉文 42歳
楫取素彦、群馬県令を辞職
「花燃ゆ」など歴代のNHK大河ドラマの視聴率のデータ
http://artv.info/taiga.html