海の日と灯台巡視船「明治丸」 |
2003年(平成15年)の祝日法改正(ハッピーマンデー制度)により、7月の
国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条では、
ことを趣旨としている。国土交通省によると、「世界の国々の中で『海の日』を
終戦までの5年間、7月20日を「海の記念日」とされていた祭日が元に
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2018年 07月 18日
現在、7月の第3月曜日が祝日になっている「海の日」について 調べてみました。2020年に限り7月23日が海の日。 Wikipediaによれば次のように記載されています。 海の日は、1995年(平成7年)に制定され、1996年(平成8年)から施行された 日本の国民の祝日の一つである。制定当初は7月20日だった。 2003年(平成15年)の祝日法改正(ハッピーマンデー制度)により、7月の 第3月曜日となった。 国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条では、 「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」 ことを趣旨としている。国土交通省によると、「世界の国々の中で『海の日』を 国民の祝日としている国は唯一日本だけ」という。 また、別のサイトには 「海の日」は昭和16年(1941)近衛内閣の逓信大臣村田省蔵の提案によって 終戦までの5年間、7月20日を「海の記念日」とされていた祭日が元に なっているそうです。7月20日に設定されたのは、明治9年(1876) 明治天皇が東北へのご巡幸の帰途、明治天皇のお召し船「明治丸」で青森から 函館を経て横浜に無事到着されたのが7月20日だったことによります。 明治丸は明治7年(1874)イギリスのグラスゴーにあるネピア造船所で作られた 船で(1,028トン、全長69m、幅9m、速度12ノット)工部省が灯台視察船として 発注したものであるが、その優雅さ最新の設備のためにたびたび明治天皇の御召艦 として使われている。 明治丸は灯台視察船の役目が終わった明治29年(1896)9月に商船学校(現在の 東京海洋大学)の4代目の帆船となり、昭和29年(1954)3月の正式引退まで 数多くの船員を育成している。 その間、関東大震災や東京大空襲では数千人の被災者の救援活動を行っています。 現在は東京都江東区越中島二丁目1番6号東京海洋大学構内で重要文化財として公開 されています。 重要文化財(建造物)には昭和53年(1978)5月31日に指定されています。 文化庁のデータベースの解説文をそのまま引用紹介します。 工部省の灯台視察船として英国へ発注したもので、のち商船学校へ移管、係留練習船として 使用され、現在は陸上に定置されている。木船より鋼船に移行する段階の鉄製の 補助帆付汽船で当時の造船技術を知る上に恰好の遺品である。 その頃日本が所有した鉄船としては最大のもので、歴史的意義も大きい。かなり改造を 受けてはいるが 船骨及び船体、中甲板の士官室等はよく当初のまま残されている。 参考サイト: 海フェスタに関するリンク:
by seiyo39
| 2018-07-18 11:11
| その他
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