京都・六波羅で平家一門の堀跡出土 |
六波羅館(ろくはらやかた)は、京都の東山山麓にかつて存在した
邸宅群の総称である。はじめ伊勢平氏の居館として築かれ、伊勢平氏が
この地に伊勢平氏が根拠地を築くきっかけとなったのは、平正盛
建立の阿弥陀堂である(現在の常光院)。
六波羅館と呼ばれる邸宅群の範囲は時代により異なるが、伊勢平氏が
繁栄を謳歌した最盛期には、北側が平安京の五条大路を東に延長した
通り(現在の松原通)、東側が車大路、南側が平安京の六条大路を
東に延長した通りであったと考えられている。
南北はおよそ500メートル、東西はおよそ600メートルで、周囲は
塀を巡らせ、内部には伊勢平氏の惣領家の邸宅「泉殿(いずみどの)」
を中心として「屋敷三千二百余宇」が立ち並び、伊勢平氏の一族郎党が
起居していたとされる[1]。
平忠盛、平清盛らの居館となった泉殿は、太田静六の研究によると、
それ以前の寝殿造に較べて極端に小さいものであったとされる。
また泉殿の南には、平頼盛の居館である池殿があった。
泉殿は氏長者の邸宅と位置づけられており、1169年に清盛が福原に
移ると、この邸宅は後継者の平重盛に譲られた。
その後、清盛が上京した際にも清盛は泉殿ではなく、西八条に
あった妻の平時子の邸宅に滞在している。
ちなみに清盛の時代、六波羅館のすぐ南には後白河法皇の住んだ
法住寺があった。