幻の「指月伏見城」の石垣が想定より外側で見つかる |
文禄元年(1592) 8月20日 伏見指月の地に秀吉の隠居屋敷建設を始める
文禄2年(1593) 8月 秀吉室浅井氏(茶々,淀殿)大坂城で秀頼を生む
9月 秀吉 指月屋敷に移る
文禄3年(1594) 1月3日 指月屋敷を拡張,新営を計画する。3月7日着工
城郭に改築(指月城)第Ⅱ期
3月20日 淀城を壊し、指月城に移す。
8月1日 指月城が完成、秀吉も移住
文禄4年(1595) 7月15日 関白豊臣秀次が自害。その後聚楽第を破壊、
その資材を指月城に運ぶ。
文禄5年(1596) 閏 7月13日 京都・伏見に大地震、指月城倒壊(慶長大地震)
(慶長元年) 7月15日 木幡城の建設着手
10月10日 木幡城 本丸が完成
慶長2年(1597) 5月 木幡城 天守閣と殿舎
慶長3年(1598) 9月16日 豊臣秀吉 没
1602年に再建されています。1623年に廃城とされた。このとき建物や部材は
二条城、淀城、福山城などに移築された。伏見城の跡には元禄時代ごろまでに
桃の木が植えられて桃山と呼ばれるようになり、やがて伏見城は桃山城あるいは
伏見桃山城とも呼ばれるようになった。
伏見城本丸一帯は、明治天皇の伏見桃山陵が造営され、名護屋丸の南には
昭憲皇太后(明治天皇の皇后)の東陵なども造営された。
伏見桃山城運動公園には、旧伏見城建造物と関連のない模擬天守が建っている
指月城は秀吉の隠居屋敷を改修する形で築城されたことが判ります
(秀頼の誕生が大きく影響していると思われる)
これまでの城の想定より外側から発掘され、調査した研究所は
発掘場所は京都市伏見区のJR桃山駅前で、今年8月から発掘調査
その結果、長さおよそ18mにわたって、幅2mほど、深さおよそ
石垣の跡は、文献から「伏見城」のうち、2度目に建てられた
(下の2枚の写真)