12月5日は恋と革命の歌人 岸上大作の命日です |
戦病死で父親(岸上繁一)をなくした後、貧困な母子家庭に育つ(母はまさゑ)。長男。
中学時代に社会主義に興味を持つ。兵庫県立福崎高等学校に入学して、文芸部に入部。
詩、俳句、小説、ドラマなどを書くが、歌誌「まひる野」に入会して短歌のみを志す
こととなる。國學院大學文学部に入学し、安保闘争に身を投じて負傷。1960年の秋、
安保闘争のデモの渦中に身を投じた経験と恋とをうたった「意志表示」で第3回短歌研究
新人賞推薦次席。安保世代の学生歌人として「東の岸上大作、西の清原日出夫」と
謳われた。同年12月、失恋を理由として下宿の窓で首を吊って自殺。死の寸前まで
書かれた絶筆「ぼくのためのノート」がある。著書はすべて死後の刊行であり、
作品集・白玉書房刊「意志表示」(1961年)、日記・大和書房刊、
「もうひとつの意志表示」(1973年)など。
現在、兵庫県の姫路文学館に展示ブースが設置されており、「意志表示」などの
直筆作品を見ることが出来る。
岸上大作(1939-1960)の生まれ故郷福崎町を一望できる辻川山(標高126・8m)の
山頂に展望スペース「望郷の丘」が完成したのは2015年3月。平成26年度(2014)の
ふるさとづくり推進事業により短歌を刻んだ石碑や岸上大作所縁の地を説明したパネル
などが設置されています。それらのいくつかを写真紹介していきます。
「白き骨 五つ六つを父と言われ われは小さき手をあわせたり」
「ほろ甘き びわのつぶら実食ぶれば 父にまつわる幼き記憶」
「五つのわれ 文字覚えしをほめてあり 戦地の父の最後のたより」
「戦死公報・父の名に誤字ひとつ 母にはじめてその無名の死」
「白き位牌持てと言われて泣きわめきし父葬る日の吾は一年生」
「父逝きて苦しみ多き十年なりき写真の額もいたく煤けぬ」
母親への想いを詠んだ歌
「ひっそりと暗きほかげで夜なべする 母の日も母は常のごとくに」
「わが歌の 活字となりし嬉しさよ 二度三度と声あげて読まん」
「吾が歌の入選せしを残業に 顔こわばらせている母に告ぐ」
「想うこと半分も言えぬ吾が性を 悲しと思い歌に託せる」
「かがまりてこんろに青き火をおこす 母と二人の夢作るため」
「この村の生計知らしむる芥つきず 夜も流るる重き河の音」
「「罪と罰」読破せし胸ふくらませ 冬休み明けし校門くぐる」
「ポケットに青きりんごをしのばせて 母待つと早春の駅に佇ちいつ」
「鋭角なすビルこえて燕とびゆけり 母への手紙今宵は書かん」
「告白はなべてかなしと吸われつつ 冬のドブ河ひととき澄める」
「口つけて水道の水飲みおりぬ母への手紙長かりし夜は」
「分けあって一つのリンゴ母と食う 今朝は涼しきわが眼ならん」
学生運動時代に詠んだ歌
「プラカード雨に破れて街を行き 民衆はつねに試される側」
「意志表示せまり声なきこえを背に ただ掌の中にマッチ擦るのみ」
「地下鉄の切符に挟いれられ また確かめているその決意」
「血と雨にワイシャツ濡れている無援 ひとりへの愛うつくしくする」
「生きている不潔とむすぶたびに切れ ついに何本の手はなくすとも」
「ヘルメットついにとらざりし列のまえ 屈辱ならぬ黙祷の位置」
「戦いて父の逝きたる日の祈り ジグザグにあるを激しくさせる」