神戸事件と三宮神社 |
大丸の北東角に写真下の三宮神社があります。
下の写真は神戸事件と同時代に使用されていた大砲です。
備前藩士の一行(約500名の隊列)は3門の大砲をもって三宮神社付近を通行中に
下記に詳述の神戸事件が起きた。
フランス兵2名が隊列を横切りにたいして槍でその兵に軽傷を負わせた。
死者が出ていない事件に対して1人の切腹は刑が重過ぎるという考えもあったが、
備前藩士瀧善三郎正信の切腹で問題は解決した。
三宮神社の一角に神戸事件の石碑がありその説明文が英文とともに書かれています。
神戸事件の概要(神社前の説明文より引用)は以下のとおりです。
神戸開港早々の明治元年(1868)正月11日、尼崎へ出向を命じられた岡山備前藩の隊士の行列が三宮神社前を通過するとき、神戸沖に停泊中の外国軍艦の乗組員数名が行列を横切った。隊士の瀧善三郎正信は日本の風習から無礼を怒って相手を傷つけた。それがもとで外国兵と備前藩士の一行との間に砲火を交える騒ぎとなった。その結果、神戸の街は外国兵によって一時占拠されてしまった。
同月15日、東久世通禧は勅命で神戸へ来て明治維新で天皇新政となったことを初めて外国側に知らせ同時にこの事件について交渉をした。結局、瀧善三郎は責任を一身に負い外国人代表ら立会いの面前で切腹して問題は解決した。
神社の拝殿です。(下の写真)