須磨海づり公園と敦盛塚石造五輪塔 |
上と下の写真は須磨浦山上遊園より写した須磨海づり公園の写真である
2007-10-28撮影 こちらの詳細はこちら
上の写真は敦盛塚石造五輪塔である。2007-10-27撮影
神戸市教育委員会の説明板より説明書きを以下に引用する。
神戸市指定有形文化財 敦盛塚五輪塔
○総高:397cm
○製作年代:室町時代末期~桃山時代
○指定年月日:平成9年10月23日
この五輪塔は花崗岩製の総高4m近い堂々たるもので、中世の五輪塔としては石清水(いわしみず)八幡宮五輪塔(京都府八幡市)に次ぎ、全国で第2位の規模を誇る。法量は総高397cm、2石から成る地輪(ちりん)は幅126cm、高さ98.5cm、水輪(すいりん)は、最大径130.4cm、高さ99cmで下部がすぼまり、火輪(かりん)は軒幅126.4×119cm、高さ75.8cm(上部に径30cm、深さ20cmの柄穴(ほぞあな))、風(ふう)、空輪(くうりん)は一石彫成で、風輪の径73cm、高さ56cm、空輪最大径69cm、高さ72.9cm、各輪四方にそれぞれ五輪塔四門の梵字(ぼんじ)を薬研(やげん)彫りに配している。紀年銘はなく、梵字が大きいことや水輪火輪の様式にやや古調がみられるが、風、空輪は明らかに近世塔やの先駆的様式を示していることから、室町時代末期から桃山時代にかけての製作と思われる。
この付近は源平一の谷合戦場として知られ、寿永3年(1184)2月7日に、当時16才の平敦盛が、熊谷次郎直実によって首を討たれ、それを供養するためにこの塔を建立したという伝承から、"敦盛塚"と呼ばれるようになった。このほか、鎌倉幕府の執権北条貞時が平家一門の冥福を祈って、弘安年間(1278~1288)に造立したなどの諸説がある。
昭和60年(1985)4月に、神戸市教育委員会が周辺整備のための発掘調査を行ったところ、下半分が埋没した地輪の下に、四角に囲った板石とその中に2枚の石から成る基壇遺構があることが分かった。このため、基壇の上部を地表に現し、地輪部以上を完全に露出するように積み直した。
平成11年3月 神戸市教育委員会
Five storied stupa Atsumorizuka
Five storied stupa is a tombstone consist of five different parts.
From the bottom ,the scquare part symbolises earth, the circular part, wind and the flaming shape part, air.
In buddhism it indicates five elements which exist in the material world.
This stupa is made of granite with 3.97m height.
It is the second largest scale,that of next to Iwashimizu-Hachimangu(in Kyoto)in medieval period(16th century)by the type of dyone stupa.
This area is well known as the battlefield of Ichinotani between Gengi clan and Heike clan in 12th century.
It is said this stupa was dedicated to TAIRANO Atsumori,young knight of Heike who was killed by KUMAGAI Naozane in 1184 at age 16.
March 1999 Kobe City Board of Education