大坂城 |
寄った。下の写真は西の丸の北西隅にある乾櫓である。
場内では最古の櫓である
下は天守閣の写真である。現在の天守閣は昭和5年(1930)徳川天守台の上に豊臣天守の概観を模して復興されたものである。
さらに平成7年(1995)から平成9年(1997)の平成改修を経たものである。
大坂城の築城は天正11年(1583)9月1日より着工された天正13年(1585)4月までの第1期工事で本丸が完成しています。第2期工事で二の丸、第3期工事で
惣構堀、そして慶長3年(1598)から慶長4年にかけて三の丸が造成された。
慶長20年((1615)大坂夏の陣で大坂城は消滅したのち徳川幕府により天和6年(1620)
再築工事が開始され、寛永3年(1626)に完成した。その時築城を指揮したのは江戸城、名古屋城、駿府城、伊賀上野城など多くの縄張を手がけた藤堂高虎(1556-1630)である。
この時期に天守閣の本丸地盤が上乗せされ地盤の高さは約55mとなった。
豊臣天守閣の時代では約32m(堀の深さ)
下の写真は大阪ビジネスパーク(OBP)のビル群を京橋口側より見たものです。
上下の写真は再び角度を変えて天守閣を撮ったものです。
最新の朝日新聞記事で「大坂城で陶器・魚の骨が大量出土」があったのでリンクしておきます。