松風、村雨の墓 |
仁和3年(887)須磨に流されていた在原業平と恋をした松風、村雨は多井畑村長の娘で「もしお」と「こふじ」だったと言われている。上の写真はその松風、村雨の墓だと伝えられている。
松風・村雨は在原行平の死後、多井畑に帰り、淋しく没した。
左は姉のまつかぜ=「もしほ」右は妹の村雨=「こふじ」の墓と伝えられている。
墓は一石五輪塔で造られている。
上の写真は松風、村雨の墓の右手に建てられた石碑で「松風・村雨二女」と書かれています。
上の写真は松風、村雨の墓と同じ場所にある石造の墓が多数あった。由緒は不詳。
手前に彼岸花がありますが撮影日は2007年10月5日である。