移情閣 |
本年7月28日に流通科学大学の奥野志偉教授による南京町の形成と歴史の講演の中で、
孫文記念館に関するG&Aがあり移情閣の歴史を理解する上で参考になり面白いと思ったので
それも紹介しておきます。
質問1 移情閣の名称の由来
答え:2説あり1つは明石海峡や淡路島六甲山系、が一望でき「移り変わる風情」を楽しめるとして移情閣と命名した。もう1つは建築主の呉錦堂氏がここの景色を見ながら故郷中国の景色情緒を思い出すことから移情閣と命名した。
質問2 国の重要文化財の指定を受けた主体は何か?その理由は?
答え:平成13年(2001)国の重要文化財に指定されていますがその主体は移情閣(8角形の建物)のみである。受けた理由は大正4年(1915)呉錦堂氏の還暦と実業界からの引退を記念
して建てられた日本最古の木骨コンクリートブロック建造物であるから。
以下の写真(3枚)は舞子ビラより撮った移情閣である。
質問3 孫文は呉錦堂の松海別荘を訪問した時、移情閣に行ったか?
答え:孫文と松海山荘との関わりは孫文が大正2年(1913)3月14日神戸に来たとき神戸の中国人日本の財界有志が開いた歓迎の昼食会の会場に使用されたときにはじまります。
一方、移情閣の建設は大正4年(1915)春なので孫文が移情閣に行ったことはありえない。
孫文記念館のHPはこちら。