明治天皇御用邸跡の碑 |
下の写真は明治天皇御用邸跡の碑で神戸ハーバーランドのダイヤパークングのあたりに
建っています。明治19年(1886)この地に4,000坪弱の土地に明治天皇の御用邸があった
そうです。明治24年(1891)5月9日ロシアのニコライ皇太子は御用邸裏の桟橋から上陸
した地でもありこのとき滋賀県の大津で巡査から切りつけられるという事件(大津事件)が
ありました。明治天皇はロシアとの関係悪化を大変懸念され、いろいろと誠意ある行動を
とられたということです。
孝明天皇の兵庫開港拒否で暗礁に乗り上げていたが明治天皇(1852-1912)
の即位と徳川慶喜の兵庫港に代わり神戸港を開港するという天皇への進言により
1867年に神戸港の開港が実施の運びとなった。
明治天皇は神戸への行幸は24回あり、上記の御用邸への行幸は9回あったそうです。
明治天皇御用邸趾の碑について道谷卓氏の著作の抜粋を下記に示します。
出典:道谷 卓 著 神戸歴史トリップ 平成17年 中央区役所発行 Page 206
宇治川の河口付近を弁天町というが、これはかってこのあたりに
弁才天(市杵島姫命(いちきしまひめのみこと))をまつる厳島神社があったことから
名付けられたものである。宇治川をはさんで弁天町の西側には幕末に長州の
御用達を勤めた専崎弥五平(せんざきやごへい)の屋敷あった。
この屋敷は西南戦争の時、明治政府の運輸事務所となり、その後1880(明治13)年
から1885(明治18)年までは行在所として使われ、1886(明治19)年からは明治天皇の
御用邸として用いられるようになったのである。明治天皇をはじめ、皇太子(後の大正天皇)
など多くの皇族が利用された。
現在、ハーバーランド・ダイヤパーキングの前に、三菱倉庫株式会社が1924(大正13)年
9月に建てた「史蹟 明治天皇御用邸趾」の碑がある。
三条実美、三条西季知、東久世通禧、壬生基修、四条隆調、錦小路頼徳、沢宣嘉の七卿
が京都から長州に落ちた七卿落ちがあったのは文久3年(1863)8月19日(旧暦)
神戸に到着した。京都出発は8月18日。この時、神戸で手伝ったのが専崎弥五平。
七卿たちに船を提供した二ツ茶屋村の「鐡屋」弥五郎は、幕末長州藩が摂海防備に
当った時の御用達商人で、元治元年の長州藩兵上洛の際、自宅を宿舎に提供し、
負傷者の看護に当ったため、兵庫の大坂町奉行兵庫勤番所の幕吏の追及を受け、
投獄された。維新後、神戸で旅館、廻漕業を営み、陸海軍の用達を勤めた。
明治には、専崎弥五平(1831-1901)と名のり、晩年は明治天皇御用邸番であった。

上の写真が「史蹟 明治天皇御用邸趾」の写真です。
碑の背面には「大正13年9月建設 三菱倉庫株式会社」
碑の右面には「昭和14年9月移転 株式会社神戸新聞社」と記されています。
石碑の隣にサンタの気になる装飾があったので撮りました。

下の写真はエコールマリンビルよりモザイク方面を撮ったものです。丁度飛鳥Ⅱが入港して
華やいだ雰囲気を盛り上げていました。


















