西垂水 高尾子安地蔵 |
あり、ほぼJuscoの対面でもあります。割合目立つのですぐ判るとと思います。
現地の西垂水高尾子安地蔵会による由来に関する説明書きより要約して引用します。
西垂水の天神川(現在は暗渠)の右岸、商大筋に面した五色山1丁目に現存する高尾子安地蔵は同境内の石碑に記載の如く、大正10年7月26日に当時の字河西の世話人6名、即ち松下藤吉、北川熊吉、松下孝一、山下岩吉、小川常吉、松下千代松により創建された。
大正13年2月6日に世話人の松下孝一、浜田石松、佐久間嘉吉の3名が鵯越の高尾山地蔵院に参拝して勧請している。これが高尾の名前の由来かと推定されるが、確かな記録はない。
これ以前の地蔵尊は何処にあったのか、古老の話では大正初期天神川の西側、通称河西町(減海岸通)の西端近くの北側にありましたが、前記松下藤吉家の西の隅に地蔵があり、
地蔵盆に盛大なお祭りをしていた。国道の拡幅のために地蔵尊の移転の話が具体化した。
またその時進行していた「山田、西垂水耕地整理組合」による五色山地区の耕地整理が終了、
その最南端天神川右岸の残余地ができてこれが現在の敷地になったとの由。当時の河西町には小さな地蔵尊が数多く点在していた小さな地蔵尊も一緒に祀りました。
地蔵さんは仏の如来と違い人間的な偶像で仏教思想を基盤としているが、民衆の中に深く
しみ込んだ信仰となっている。地蔵さんはお寺の境内の外、路傍や人家の軒先にもあり市民
から愛され親しまれている。 平成14年1月吉日 記