塩屋 西向地蔵 |
まず、西向地蔵の謂れ伝説について説明書きより文章を引用させていただきます。
「塩屋の浦で明治から大正に掛けて「やんだら」と云う地引網があり、その網にかヽり上ってきた地蔵尊である。それ以来地蔵尊は塩屋村字垣の内九百七拾弐番地参の東の山裾に西向きに安置し、以来西向地蔵尊と云う名で親しまれてきました。また一願地蔵とも云われ、一心に願えば真心が届くと云われています。最初は屋根を地蔵尊の頭の上まで造りましたが、三度も火災にあい、頭上の屋根は焼け落ちたので、修験者に拝んで頂くと、我は竜神の化身なりよって頭上の屋根は不要との御告げがあり、それ以来地蔵尊の頭上の屋根はして居りません。それまでが西向地蔵尊の謂れ伝説であります。
敷地は兵庫の南條氏の寄付によるものであり、大阪の中村知法なる尼僧が地蔵尊横南側に庵を建てヽこれを祀り、尼僧の没後は塩屋村安養寺住職宇野義夫がこれを引継いだ当時、西村熊、中村はな、秋馬とら等がお世話し現代は西村しな、青木てる、石村光枝等がお世話をしている。昭和六拾弐年六月吉日」下の写真が上記の文の石碑

以下の写真は西向地蔵尊の写真です。「やんだら」にかかた地蔵を祀ったお地蔵さんで、西を向いて祀られていることから西向き地蔵と呼ばれ屋根をかける度に火災が起こり、お告げによりお地蔵さんの上だけには屋根が掛かっておりません。



塩屋の異人館は北野の異人館に較べると数は少ないが趣のある建物も多い。
下の写真は西向地蔵尊の近くにある旧後藤邸です。塩屋の街については今後徐々に紹介していきたいと考えています。
