旧ジェームス邸 望淡閣 |
名のとおりジェームス氏が住んでいたことでこの名前になっています。アーネスト・ウイリアムス・ジェームス氏(Ernest William James)は昭和5年(1930)神戸に居住しカメロン商会を経営するイギリス人貿易商で昭和9年(1934)に塩屋の地に自宅を建造した。さらにイギリス人のための住宅地を約60棟以上ほど開発した。やがてジェームスの名を取り、この地を「ジェームス山」と称するようになった。ジェームス氏の没後、旧邸とイギリス人住宅地を井植歳男(三洋電機創業者)が買い取り自宅として使用されていた。またこのへんの土地は塩屋土地が管理するようになった。
井植歳男氏が亡くなった後は三洋電機の迎賓館として使用されその名称も「望淡閣」と名付けられた。この名称は井植氏が淡路の出身でいつも淡路に対する郷愁の念があったと言われて
います。
住所:神戸市垂水区塩屋町6-28-1 地図はこちら。
ジェームス氏(1889-1952)についてもう少し調べてみた。かれは明治22年(1889)神戸で生まれた。父親の名前はCaptain H.D.Jamesで母親は英国人であり、3男であった。
彼は自身で事業を経営し社名はA.Cameron&Coで北米やベルギーの鉱物資源会社の代理店である。1920年代(大正9年-昭和4年)彼は神戸市塩屋に230,000平方メートル(約7万坪)の土地を購入した。そこに55の家を建てた。そこに子供のための遊園地、野鳥園、プール、猿園、池などもあった。またこの地を守護するためのライオン像も造成された。
ジェームス邸にはプールやスポーツジムを備えていた。また、塩屋カントリークラブなる会員制のクラブをつくりクラブハウスの他にプール、スポーツジム、テニスコートもつくった。
彼は体づくりに熱心でイタリア人の専用トレーナーまで雇っていた。
第2次世界大戦の影響で昭和16年(1940)ころから日本の警察からの抑圧事件が起き、且つ
米英人の財産は日本政府による差し押さえがあり、日本に住めなくなったジェームスの一家は香港経由でカナダに移り住んだ。昭和22年(1947)再びカナダから神戸に戻った。
神戸は昭和20年(1945)の大空襲で焼け野原になっており、またジェームス邸は海軍経理学校の校長公舎に改造されてしまっていた。このジェームス山の分譲地に残っていたのはドイツ、イタリア、フランスの人達または日本に帰化した人達であった。
また彼が戦前に造成した木造の家はシロアリの被害で序々に消滅していった。さらに米の駐留軍のトラックにより道路も荒れてしまっていた。
彼は、昭和23年(1948)ジェームス邸の北側の地に220,000平方メートルの土地を購入し9ホールのゴルフ場を造成し、ヘリコプターの発着場をつくり、レクレーションもつくることが夢であったが昭和27年(1952)彼の死により果たせえぬ夢に終わってしまった。
昭和36年(1961)に彼の土地は井植氏がつくった地元の不動産会社「塩屋土地」に売却された。

広大な芝生の庭の奥に茶室のような建物があります。





2012-5-27に追加(読売新聞ONLINEなどの記事より)
三洋電機の創業者・井植歳男氏(1902~69)の自宅として使用されていた神戸市垂水区塩屋
の「旧ジェームス邸」が、結婚式の会場やレストランとして活用されることが決まった。
国内約40か所で結婚式場やレストランを展開する「ノバレーゼ」(東京)が三洋電機から
借り受け、今年の秋にオープンする予定だそうです。
ノバレーゼによると、庭園内にチャペルなどを建設し、土日、祝日は結婚式場、
平日は地元食材を使ったフランス料理店として運営するという。
ノバレーゼの公式HP