花隈城跡と天守跡 |
武将荒木村重が築いた摂津の西の拠点であった。のちの天正8年(1580)荒木村重が信長に背くと、花隈城は池田信輝らに攻められ天正8年(1580)8月2日ついに落城した。
このとき信長配下の滝川一益らは、花隈城を支援する一向宗寺院とその宗徒に対して僧俗・男女の区別なしに殺戮したという。落城後、池田信輝がこの地の領主になり、花隈城の石材などを用いて兵庫城 を築いたといわれている。
現在は石垣があるが、これは市営花隈駐車場のもので、屋上が花隈公園になっており、池田恒興の子孫、池田宣政の書による「花隈城跡」の石碑がある。城の地点は海に面して突き出たハナクマの名前のとうりの台地で、海陸の要害地である。城の規模は本丸、二の丸、三の丸と北に続きその東に侍町と足軽町があり近世城郭の形態を完備した威容であったと伝えられているが詳細は判らない。
現在の地形で東西350m南北200mであったと思われる。東は県庁、西は善福寺(モダン寺)南はJR高架線、北は山手通りくらいであったそうだ。

花隈城天守閣之碑(福徳寺の山門の横にあります)撮影:2008-1-15(したの写真)
花隈城址の西30mほどに浄土宗福徳寺がある。山門の横に「花隈城天守閣之碑」の石碑が建てられている。花隈城の天主(殿守)がこの付近にあったと考えられている。

天守閣に似せた建物が福徳寺の中にあります。(2008-1-15)


















