大歳遺跡 |

本日は2008-1-19に訪問した大歳遺跡の紹介をします。上の写真は竪穴住居。
いつものように神戸市教育委員会作成の説明板より引用させてもらいます。
「竪穴住居:
一辺約6.5m、隅がややまるみをもった方形の竪穴住居で、いまから約1800年前の弥生時代後期につくられたものです。火災にあったらしく、柱や垂木などの建築材が炭化して残っていました。住居の中は4本柱でかこまれた一辺3.5mの中央部と、その周囲に幅約1mの床面の高い部分とがあり、そこには壷、甕、高坏、鉢など約50個の土器がおかれていました。なお付近には同じ時代の住居が5~6戸埋まっていることがわかっています。
復元住居は、柱の位置や炭化して残っていた建築材の状態を参考にして設計しました。出土品は、灘区桜ケ丘出土の国宝銅鐸など市内出土品の考古資料とともに神戸市立博物館に保管展示しています。」

上の写真は古墳の写真です。同じく神戸市教育委員会の説明を引用させてもらいます。
「古墳:全長約37m、前方部幅13m、後円部直径22m、高さ2.5mの前方後円墳で後円部の中央には死者を葬った石室があり古墳のまわりからは土器(須恵器)がたくさん発見されています。この古墳は形や出土品からみて五色塚古墳よりやや新しく、いまから約1450年前の古墳時代後期はじめにつくられたものと推定されます。
この古墳東側にも横穴式石室の古墳と木棺を直接土中に葬った古墳がいくつかならんでおり、これらの古墳は、古墳時代の後期のものでした。
現在墓地になっているあたりにも古墳があったらしく小形の銅鏡、勾玉、管玉、石釧など古墳時代前期の遺物が発見されています。」

上の写真は大歳遺跡から臨む明石海峡大橋方面の景色です。

上の写真は住居跡の現在(2008-1-19)の写真で、下の写真は発見当時の写真です。

大歳山はかって五穀豊穣の大歳の神が祀られ「大歳山」と呼ばれていたところで、
大歳山遺跡が発見されたのは、大正11年(1922)のことである。発見者は、「明石原人」を発見した直良信夫(なおらのぶお)氏である。当初2万年前の旧石器時代の遺跡と考えられていたが調査が進むにつれ10基以上の古墳時代後期の小型古墳さらに
弥生時代後期の石器、土器と6戸の弥生住居跡が見つかり複合遺跡であることが判った。
昭和49年(1974)より遺跡公園として保存されている。弥生竪穴住居と小型の前方後円墳が
復元されている。
大歳遺跡の住所:神戸市垂水区西舞子4丁目22 地図はこちら。