楠・荒田町遺跡 |
医学部付属病院に立ち寄った。その際、標題の楠・荒田町遺跡の説明版を見つけました。
以下説明版の記載の内容を要約して引用させていただきます。
治承4年(1180)6月平清盛は安徳天皇、後白河法皇、高倉上皇を奉じて福原遷都を断行
しました。新しい都の建設がすすめられたが約6ヶ月で挫折してしまった。
平家物語には「頼範の山庄あら田」とあり清盛の弟頼範の館跡と伝えられています。
福原京の実態はほとんど解っていませんがかって兵庫区雪御所(ゆきのごしょ)町で瓦や土器
が出土した他、祇園神社近くの祇園遺跡での庭園跡の発見など断片的な手がかりが
つかみ始めているところです。
うえの写真は二重の壕の遺跡で東西39m断面がV字になった薬研壕(やげんぼり)と呼ばれる
形で、南側の壕はU字状の箱壕となっています。壕からは12世紀後半の土師器皿や中国(当時は宋)から輸入された青磁器、白磁器も見つかっています。壕は防御壕の説もありますが
平家の有力武将の屋敷壕である説が有力である。特異な建物跡も見つかった。
現在立体駐車場の地下に遺構は埋め戻され保存されています。
上の写真は壕の断面の拡大写真。
上の写真は周辺から発掘された遺跡の写真です。
上の写真は神戸大学医学部付属病院の建物です。