船上城跡 |
2008-7-20撮影。 番地の詳細は判らないが明石市船上町2丁目6?か
船上(ふなげ)城は元和5年(1619)小笠原忠真(ただざね)が明石城を築城されたこと、
元和6年(1620)1月19日の火災で焼失したこともあり廃城となった。
室町時代の赤松氏からその後別所氏もここを居城とした。
高山右近もここで2年間過ごした。
天正13年(1585) 高槻の高山右近は豊臣秀吉より、明石城主として高槻城から移封を
命じられた。高槻4万石から明石6万石への転勤であり大変な栄転であった。
この当時明石城は現在ある位置ではなく現在新明町附近にあり船上城と呼ばれていた。
敬虔なキリスト教徒である右近は、在任期間2年間ではあるが明石の地に多くの教会を建設していった。
天正15年(1587) 秀吉は、キリシタン追放令を出し、さらに各大名に対しては、
11箇条の指令を出し、厳しくキリスト教取り締まる方針を出した。
その影響で高山右近は小豆島、肥後、加賀高岡、長崎、ルソン(フィリピン)などの地
を転々とした。
手前の井上さんの家(青い屋根)が目印になると思います。
また大阪ガスのメンテナンスの車も目印になると思います。
現在は小さな神社が残っている。